弟の友達

 十歳年下の弟は、家族計画外の子供だった。計画外ではあったものの、いや、だからだろうか? 両親と兄・イタチはサスケを溺愛した。惜しみない愛情を一身に受けて、サスケは元気で明るい子に育っていった。
 それが、両親が不慮の事故で亡くなった時から、サスケは滅多なことでは笑わなくなってしまった。イタチが高校二年の時、サスケが小学一年の時だった。幸せな時は永遠ではないのだと、サスケが知るには早すぎる年齢だった。
 

  弟の友達

 
 イタチには最近、新しく友達が出来た。
 うずまきナルト。
 15歳、そもそもは弟・サスケの友達だ。12月中頃、クリスマス前。サスケが高熱で倒れた時に、彼が病院へ担ぎ込んでくれたのだ。
 イタチはその時、少なからず驚いた。
 うずまきナルトと言えば、サスケが小学四年の頃から聞いていた名前だった。仲の良い友達の名前として、ではない。変に突っかかってくる奴がいる。うざい。うるさい。頭くる。アイツのせいでまた職員室呼ばれた。今度は同じクラスだ。むかつく。つまり嫌いな友達に対する愚痴として、だ。
「はい…」
『あっイタチ兄ちゃん? あけましておめでとうだってばよ!』
「あ、ナルト君? ああ、あけましておめでとう」
『今年も宜しくおねがいします!』
「うん、こちらこそ宜しく」
 一月二日の夜、かかってきた電話はナルトからだった。サスケは風呂に入っていて、電話を取ったイタチは「かけ直すように言っておくよ」と言おうとしたのだ。だがナルトは、サスケに代わってくれとは言わずに、そのままイタチを相手に話し始めた。
『なあなあ、俺の年賀状、もう届いた?』
「年賀状? ちゃんと昨日届いてるよ、ありがとう」
『良かったー! 出したのクリスマス後だったから、間に合わねーかと思った』
 ナルトからの年賀状は、宛名がイタチとサスケの二人になっていた。
 イタチがナルトと知り合ったのは去年のクリスマスの直前だ。それから年賀状の準備をしたのだろう。うちは家では既に準備済みで、イタチはナルト宛には出していない。だがナルトはそんなことを気にしてはいなかった。
『つうかさ、サスケからの年賀状、ひでーってばよ!』
「え?」
『コンビニで売ってるやつに宛名書いただけなんだぜ!』
「ああ…はは、そうだった?」
『横着にもほどがあるってば!』
 毎年そうなんだとぷりぷり怒るナルトに、イタチは苦笑した。
 ナルトからの年賀状は、悪筆だが力強い筆書きで、極彩色の個性的なものだった。宛名しか書かないというサスケのものとは開きがありすぎる。だがそれは、イタチの責任でもあった。
 サスケがナルトと同じクラスになった小学五年の時のことだ。仲が悪いというナルトに、サスケは当然年賀状など出してはいなかった。だが、ナルトからは届いたのだ。素っ気ない墨一色の文面で、確かに仲が良さそうではないなと思ったものだ。返事を無視しようとするサスケを、イタチは「礼儀に反する」と窘めた。それでも渋るので、既製品に宛名を書くだけでもいいじゃないかと宥めたのだ。
 つまり、それ以来の習慣なのだろう。
『あ、そだ、兄ちゃん。明日サスケ何か用事ある?』
「明日? いや、別に何もないよ。いつも通り、勉強するって言っていたな」
 ナルトが不意に話題を変える。そもそもこれが本来の用件なのだろう。丁度サスケが風呂から上がって、居間を横切ってゆくのと目が合う。
『明日さ、初詣行こうぜって誘ってるんだけど』
「うん? ああ、いいんじゃないか?」
『でも断られたんだってば』
 え、何で。
 うちは家では、両親が亡くなってからというもの、正月は特にどこにも出かけなくなった。と言うより、寿ぐ気持ちがどうしても涌かなくなって、兄弟の間では以来「あけましておめでとう」は言わなくなった。
 つまり正月の休みには何もない。
 兄弟の間ではこんな状態だが、イタチもサスケも友達には普通に年始の挨拶をしているのだし、初詣だって行けばいい。
『それがさ、それがさ! もうすぐ高校受験だから、おとなしく家で勉強してろって! 寒い中出かけて風邪ひいたらホンマツテントーだからってさあ』
「ああ…サスケの言いそうなことだな」
 思わず顔が綻ぶ。
 目が合ったサスケは怪訝そうに眉根を寄せて、キッチンへ消えてゆく。その口が僅かにへの字になるのを、イタチは見逃してはいない。
 サスケは両親の一件から滅多に笑わなくなり、ついでに生真面目な性格が顕著になった。しかも、中学一年の冬あたりから、急に猛勉強を始めていた。何のスイッチが入ったのかは定かではないが、イタチの通った高校に入りたいと言い出したのだ。
『それでさ、一応待ち合わせの連絡したんだってばよ。イタチ兄ちゃん、サスケに伝えてくれる?』
 心なしかしゅんとして聞こえるナルトの声に、イタチは再び苦笑した。サスケに代わってくれる、ではなく伝言なのだ。
「…うん、うん。13時に中学の正門前だね、分かった」
 サスケの話だと、ナルトとは犬猿の仲のようであるというのに、彼と話していると全くそんな雰囲気ではない。
『あ、でもさ、こないだ風邪で寝込んだし、無理じゃなくていいからさ。せっかく治ったのに、また風邪引いたら困るし』
「あはは、大丈夫だよ。そこまでひ弱じゃないはずだから」
 幼い頃にはよく高熱を出したものだが、最近ではぐんと減った。クリスマス前の高熱は本当に久しぶりだったのだ。
『そう…? なら来てくれるといいな! みんなサスケと一緒に行きたくて集まるんだし! あ、みんなってゆうのは、サスケ塾の連中なんだってばよ』
「え?」
 サスケ塾。
 イタチは初めて聞く単語にまばたいた。
『あー、テスト前には放課後に教室でサスケに勉強見て貰ってて、お陰で俺も赤点なしだったってば!』
「そんなことしてたのか」
 それが『サスケ塾』か。
 自分の帰りが遅い日が多いせいもあって、放課後にそんなことをしていたとは知らなかった。サスケは基本的に、学校であったことなどイタチに話したりはしないのだ。
『でもさ、すっげえスパルタなの! 超怖えの! 竹の定規でビシバシしごかれたってばよ…。知ってる? 兄ちゃん。サスケってば「鬼教官」って呼ばれてるんだぜ』
 
 鬼教官?

 イタチは目を丸くした。
 生まれたばかりの赤ん坊の頃から天使のような幼少期の弟が、走馬燈のごとく脳裏を駆け巡る。あどけない笑顔、いとけない寝顔。『お兄ちゃん』から『兄さん』に呼び方が変わり、今となっては『兄貴』になった。
 その、サスケが、鬼教官。
『担任の先生まで「うちは教官」って呼んでるもの。もう誰もサスケに逆らえねーってばよ』
 何かのゲージが振り切れそうになった時、当の本人と目が合った。訝しげな視線、口はあからさまに『へ』の字。よちよち歩きの鬼教官が、手に定規を構えて講義する教室を思い浮かべて、イタチは、笑ってしまった。文字通り、大爆笑だった。
『まあさ、怖えけど、みんな感謝はしてるんだってば。それに、一緒に初詣行ったらなんか御利益ありそうだし…、ってゆうか大丈夫か? イタチ兄ちゃん…』
「い、いや、それは…っ! いいことを聞いた!」
 驚いた様子で呆然とするサスケの顔に、余計に笑いが止まらない。ナルトまで心配するというか呆れた声をかけてくる。
『まあ、そんな訳だから、伝えてくれってばよ』
 ああ分かった、と笑いを堪えて相槌を打つ。
『じゃあな、イタチ兄ちゃん。…ホントに伝えてくれってばよ!? 一時に正門前な!?』
 あんまり笑いすぎたせいか、念を押される始末だ。イタチは笑いに震える声でようやく「じゃあね」と電話を切った。
 こんなに笑ったのは久しぶりだ。突っ伏したソファから身を起こすと、サスケが半分憐れむような目でこちらを見るものだから、笑いがぶり返してしまう。
 だが、グラスを片手に立ち去ろうとする気配に、イタチは努めて冷静に「サスケ」と呼び止めた。
「明日は13時に、中学の正門で待ち合わせだそうだ」
「ああ? 俺は断ったんだけど…」
 それでも諦め切れなくて、ナルトはイタチに伝言を頼んだのだ。
「行ってきなさい。みんなはお前と行きたいんだよ」
 みんな。
 言ってから、想像した『鬼教官』が目の前のサスケと被って笑いがこみ上げる。この心優しい弟が、何故そうまで手厳しい指導が出来たのか。
「だが、お前が、鬼教官とはな」
 むくれるサスケに、イタチは電話で笑った訳を言う。
「…」
 サスケの顔が、苦虫を噛み潰したように歪んだ。きっと本意ではないのだろう。
 ずいぶん慕われているようだ、と言えば、サスケは聞きたくないとばかりにイタチを通り過ぎてゆく。
「…特にナルト君に」
 付け加えた言葉は、たぶんしっかり聞こえている。
 スパルタになってしまったのは、恐らくはナルトのせいだと、イタチは気付いた。

 サスケが小学四年の頃、日頃の鬱積したものが爆発したように、ナルトへの悪口雑言が始まった。
 当初は驚いたものだ。
 だがそれを窘めようとは、イタチはしなかった。話を聞くと、半年ほどは我慢していたようだったからだ。不満や愚痴は、外で言わなければ良いとイタチは思っている。どこかで吐き出さなければ精神衛生に良くない。それが子供であるなら尚更だ。
 そしてそれ以上に、サスケが愚痴を言う、ということにイタチは驚いていたのだ。
 両親を亡くして以来、サスケは笑わなくなり、言葉が減り、周囲に対する関心を失ってしまっていた。それまで通っていた空手も辞め、当然クラスであったことやクラスメイトのことなど、こちらから訊いても話そうとはしなかった。それが、自発的に、話し始めたのだ。愚痴でも何でも、それは進歩だった。
 よほど仲が悪いのだ、と思っていた。
 日々喧嘩に明け暮れ、張り合い、先生に怒られる。あちこちに傷を作って帰らない日の方が少ない。
 それでも、イタチはナルトに感謝していた。
 そしてサスケがナルトのことを話し始めて五年も過ぎた、去年のクリスマス前。初めてナルトを見て、サスケの話からイメージしたのとほぼ変わらないことに微笑み、そしてただひとつ食い違いを発見した。
 ナルトはサスケを嫌ってなどいない。
 少なくとも、サスケが言うような『嫌な奴』ではなかった。急に高熱を出して倒れたサスケを保健室へ運び、埒があかないと毛布ごと抱えて病院へ駆け込み、保護者であるイタチに連絡をくれた。授業より何よりもサスケを優先し、心配した。機転も利く。保健医の言葉より自分の勘を信じる。
 始めは、本当に、仲は悪かったのだろう。
 だがサスケが頑なに意地を貫いている間に、ナルトの方はサスケに馴染んだのだ。
(いい友達が出来たな、サスケ)
 きっと一生の、何ものにも代え難い友達だろう。

 だが───。
 やがてこの二人がただならぬ関係に落ち着いてしまうとは、この時イタチには想像も及ばなかった。
 更に言えば───。
 自分の会社の取引先の、ナルトに良く似た社長と自分までもがただならぬ関係に陥ってしまうことも、この時のイタチは知る由もないのだった。