NS100!!:054

  オムライス


 途轍もなく奇妙なもの、のように思えた。
 だって、サスケといのなのだ。
 こう言っては何だけれど、いののことをサスケがどう思っていたかは明らかだ。うざい、しつこい、耳元で喋るなべたべた触るな。アカデミーの頃から、あからさまに顔をしかめて押し退けていたのだから確かである。
 それが、どうしたというのだ。
 そりゃあ、子供の頃がどうであれ、大人というか年頃にもなれば違ってくる。いのの態度はそんなに変わらないけれど、スキンシップは減っている。そんないのに対して、サスケは昔のように邪険にはしない。あの頃は『女になんか興味はない』という顔をしていたサスケだけれど、こちらもお年頃だ。うざくなくなったいのに笑顔で好意を寄せられて、悪い気はしないということだろうか。
 それでも、二人で仲良く歩く姿には途方もない違和感が付きまとう。
 だって、サスケと言えば、サクラではないだろうか?
 下忍の頃に同じ班で、一番長く接していた女の子はサクラだ。色々と紆余曲折はあったけれど、結局はサスケはサクラのことが好きなのではないか、と思っていた。だが、どうだ。肝心のサクラも、そんな二人を見かけても「アラ…いのブタのクセにやるわね」と少々面白くなさそうな顔をするだけなのだ。
「なんか、おかしいってばよ!」
 そりゃあ、別に、サスケが誰と仲良くなろうと本人の自由だ。付き合っているのか、とストレートに訊けば「何でそうなるんだよ」と呆れた返事で、だから二人は男女の関係ではないらしい。
 と言うことは、だ。
 友達という関係としか言いようがない。
 まあ、友達と言うなら仕方ない。男女の間にだって友情は存在する。それは否定しないし、サスケがこの里に帰ってきて、馴染む友達が増えるのは喜ばしいことでもある。そうだ、サクラと良い雰囲気にならないのは、グレていた頃のサスケに殺されかけたせいだろうか。もしかして、サクラもちょっと、愛が冷めたのだろうか。恋愛的な愛が。
「おかしいってばよ…」
 サクラの愛のベクトルが、よもや別の人物に向き始めていたなどとは思いも寄らないナルトは、改めてため息をついた。
 たとえば、サクラのサスケへの愛が薄れたとする。
 サクラに向き始めていたかも知れないサスケの愛は、彼女の愛はもはや自分には向けられていないと感じて、霧散するだろうか。そして、常に好意を向けてくれるいのに目が向いたのだろうか。付き合ってんのと訊いた時点では、まだお友達だったかも知れなくても、もしかしたら今は。
「なんか…おかしいってばよ…!」
 遠ざかる、親しげな二人の後ろ姿。
 それを見つめて力なく呟くナルトは「まるで捨てられた子犬のようだった」とは、横で見ていたサイの談である。

*     *     *


「…ねえ、サスケ君…」
「いい、ほっとけ」
 いのは落ち着かない気配に、思わずサスケを呼んだ。そこは山中家の厨房で、ガスコンロの前に立ついのは、すぐ後ろのダイニングにいるサスケを振り返る。
 サスケはその原因についてバッサリ切り捨てた。
 キッチンの窓から、山中家の植え込みの中に見え隠れするのは脳天気な金髪である。あれで隠れて様子を窺っているつもりなのだろうか。それでも忍なのか。怒るより詰るより、呆れて気が遠くなる。
 何が気に入らないのか、何が気になっているのか。
 いのとは、別に付き合っている訳ではないと言ってある。
 ああ、付き合ってもいない男女が二人でいることに不審を抱かれているのだろうか。
 いのとは良い友達関係だ。
 それというのも、いのには現在お付き合いしている男性がいて、以前のようにサスケの腕に絡み付いて豊かな胸を押し当てるといった真似をしなくなったため。お相手の男性は、いのにとってサスケが特別な存在であることを寛容に受け止めているのだと言う。従って、いのとサスケが二人きりでいようとも、何の問題もないという訳だ。
(ったく、何なんだ…)
 どうせ、くだらない何かが気になってコソコソと様子を見ているのだ。放置しておけばいい。いのの方も、気になりつつも、作業を中断するほどでもないらしい。大きなフライパンにはケチャップの香るチキンライス。それを、アーモンドタイプの型に詰め、大きめの平皿に盛りつける。そして、牛乳で溶いておいた卵を小さなフライパンに流し込んだ。オムレツを作る要領だ。
 いのの作っているのはオムライスだった。
「あ…、ああー…」
 残念そうな、不安そうな声が上がる。チキンライスの上に卵を移したいのは、がっくり肩を落とした。
「ダメ! 火を通しすぎたみたい…」
「食えない訳じゃないんだ、いいから最後までやってみろ」
「うん…」
 卵でチキンライスを覆い隠して、トマトソースをかける。サイドにトマトサラダを添えて、いのは気落ちした様子でダイニングに入った。
 サスケに差し出されたオムライスは、ごく一般的なものだった。いただきます、と手を合わせてスプーンを握る。
「…どう?」
「美味い」
 普通だ、とサスケは思う。普通に美味い。
 サスケは実は、味見に呼ばれているのだった。
 確かにいのの言う通り、卵はフワフワではあるものの、とろけてはいない。チキンライスの上に平たい卵焼きを乗せた料理である。チキンライスの味は充分美味なので、いののこだわりが良く理解できないサスケだ。
「ありがと。でもダメなのよ…!」
 来て、と食事の途中とも言えるサスケの腕を引く。卵と牛乳を突き出され、サスケはたじろいだ。
「私はね、サスケ君の作ったあのオムライスを再現したいのよ…!」
「…」
 こだわりが、よく分からない。
 いのの目の前で実演するのはこれで何回目だろう。作ったものを無駄には出来ないし、いのが習得するまで同じ日に何度も作る訳にもゆかず、結局何回も山中家に通う羽目となっていた。
 チキンライスを皿に盛っておき、いのの凝視の前で、ボウルに卵を割り入れる。目分量で牛乳を少々注ぎ入れ、軽く塩コショウをし、箸で手早くかき混ぜる。フライパンに油を引き、火にかけ、そこへ卵液を流し込む。箸でちょっと混ぜてからフライパンを少々傾け、端からめくり上げるように半熟の部分を閉じてゆく。
 そうしてチキンライスの上に乗せ、表面をつつけば、程良く固まりかけた中身がトロリとライスを隠してゆく。
「…憎い、憎いわ…サスケ君…!」
「…」
 いのが再現したいオムライスは、この、とろとろ卵なのだ。
 ダイニングでサスケ作オムライスを食べるいのは、美味しさに顔をほころばせながらも難しそうに眉間を寄せたりしている。小さくため息をつくと、サスケはいの作のオムライスに手をつけた。さすがに食べ飽きてきた感が否めない。
「…いの、もう一回作ってみたらどうだ」
「え、今?」
 つん、と顎をしゃくって外を示すと、いのは「ああナルトがいたわね…」と納得した。もう最近はいのの家族も「勘弁してくれ」と、試作したオムライスの行き場がないのだ。
 二人同時に立ち上がると、いのはキッチンへ、サスケは勝手口から外へ出た。
「おい、そこのウスラトンカチ」
「!」
 声をかけると、びくんと一瞬硬直するナルトが、しばらくしてモゾモゾと植え込みの中から姿を現した。
「…」
 何をコソコソしてやがる、と言おうとしたサスケは、しかし言葉を失った。
「…何で半ベソなんだよ」
「だ、だって…!」
 青い目は涙に潤みきって、眉間と額には複雑なしわが寄り、ふうふうと口で息をしながら時折ハナミズを啜る。本ベソの一歩手前である。髪に絡まる葉っぱが哀れを誘う。
「な、なんか…っ、すげえ幸せそうに見えんだもの…っ!」
「はあ…?」
「なんかっ、し…、新婚さんみてえなんだもの…ッ」
「はあァ!?」
「ずりいってばよ!」
「何が!」
「俺だって、サスケの作ったもの食べたいってばよ!!」
 ナルトは、力一杯叫んでいた。

 そもそも、こんなストーカーまがいに見張るつもりなんて、ナルトにはなかった。
 最近、サスケ君はいのさんのお宅に通ってるみたいだね。
 サイのそんな言葉が妙に引っかかって、何かが気に入らなくて、サクラの存在も相まって何となく「真相を暴いてやるってばよ!」などと思っただけだった。スーパーで買い物をして出てくる二人をつけた時は、もちろんナルトはそれらしく気配を消していた。
 連れ立って歩く二人はまるで恋人同士のようで、いくら「違う」と言われようとも、どんどん信じられなくなってきた。ずっとサスケのことを好きなサクラが可哀想で、サクラを応援してきた自分も可哀想だった。ここで傷心のサクラを慰めて、あわよくば自分が恋人の座に収まろうなどと思い付かないところは、既にナルトからサクラへの恋心が失われていたとしか思えない。ナルトはうっすらとそれを感じながら、しかしサクラがよもやまさかカカシの押し掛け女房になっていようとは、全く気付いていないのだ。
 サクラのことはさておき、山中家の厨房をコッソリと覗きながら、ナルトはだんだん意気消沈してきた。
 ダイニングキッチンで、いのが料理をする背中を眺めながら食事を待つサスケ。真剣に、しかしどこか楽しそうに包丁を握るいの。もちろんサスケはニヤケたりしていない。けれどそれが、奇妙に二人の仲に真実味を持たせているような気がしてしまった。いのの作った料理を一口食べて、今度はサスケが厨房に立った。いのは真剣にサスケの手元を見つめて、出来上がった料理を、それはそれは美味しそうに食べるのだ。
 今は、付き合っていなくても。
 付き合う前段階の二人なのかも知れない。
 サスケが誰と付き合おうと、いのが誰と付き合おうと、自分に口出しする権利はない。それは分かっている。
 でも、でも。
 付き合っていないと言うなら、そこにいるのは自分だって良いのではないだろうか!
 忘れていたが、サスケは結構料理が上手い。いつだったか、同期の皆でサスケの家(※広い)に押し掛けた時には、文句を言いながらも色々と作ってくれた。大半はリクエスト通りに、材料不足で出来ないものを除いて、その場で作ってくれたのだ。
(あれは、すっげえ美味かったってばよ)
 宴も終盤だというのに、誰かが「オムライス食べたい」と言って、ああそれなら出来る…と手早く作っていた。ほとんどが酔い潰れて、起きていた者もだいたいがへべれけだったが、サスケの作ったオムライスは奪い合いになったものだ。飲んで食べて、満腹だったはずなのに、やたらと美味しかった気がする。
 今、山中家の厨房で作られているのは、どうやらそのオムライスだ。黄色で、赤くて、ほかほかの湯気が立っていて。二人でお互いに作りあって、幸せそうで。
 不意に、いのが羨ましくて仕方なくなった。
 いや、二人が仲良く歩いている場面から、じわじわと来ていたのかも知れない。二人が付き合うと言うなら、邪魔はしない。でも、サスケは「違う」と言ったのだ。それなら、いのにではなく、自分に作ってくれたって良いではなかろうか!
「俺だって、サスケの作ったもの食べたいってばよ!!」
 集中力が切れて気配を隠すことを忘れ去ったナルトの存在に、サスケが気付かないはずもない。どんな文句を言われるのかと思ったら、こっちだって言いたいことは言うべきだ、とナルトは開き直った。
 ゆえに、そんな正直な要望が口をついて出た訳だった。
「ナルト! 分かったから入りなさいよ」
 厨房の窓は開いていたし、いのにもナルトの怒鳴り声は聞こえたのだろう。戸惑ったようなサスケと目を見合わせて、ナルトはおずおずと勝手口から山中家にお邪魔した。
 テーブルの上を見て、ナルトは余計に悔しくなる。
 食べかけの二皿、そこは二人だけの空間のようではないか。
「ほら、座んなさいよ」
「うぅ…」
「何なのアンタは…」
 子供みたいにぐずりながら椅子に座る姿に、いのも呆れ顔だ。
「そりゃあね、サスケ君のオムライスは絶品よ。本人が全く頓着してないのが憎らしいぐらいにね! でもだからって、そんなベソかくようなことォ?」
「だって…」
 本人を目の前にすると、先ほどまでの妄想が上手く言葉にならない。
「いの、ずるいってばよォ…」
「ハア?」
「サスケと、付き合ってねえのに、サスケにご飯…作って貰って、何回も…ッ」
「付き合っ…、ああ、あたしは…」
 教わってるだけなんだけど、と続く言葉はナルトの意識には届かなかった。いのの前にあるオムライスをじっと見つめる。
「ちょっと聞いてる? アイツも確かに、あたしの作ったオムライス食べてはくれるのよ。でも絶対食べ終わったあとに、サスケ君が作ったのが一番美味しかったー、て言うのよ! 意地にもなるっつうの!」
「…」
 とろりと半熟状態の卵焼きが綺麗にライスを覆い隠し、トマトソースと境界が曖昧になっている、かつても見た絶品オムライス。あの時はほとんどがチョウジの胃に収まってしまったのだ。追加で作ってくれたものを男共で奪い合った記憶は、酔っ払っていたはずなのに鮮明だ。
 ふと顔を上げると、キッチンに立つサスケがフライパンを片手にビミョーな顔でナルトを見ていたことに気付く。
 器用にチキンライスの上に卵焼きを乗せ、菜箸の先でちょんちょんと突つけば、半熟の中身がとろりと流れ出た。
「ほら、食え」
「…」
 サイドにはあまり好きではない野菜が添えられていたけれど、それは完璧すぎるオムライスだった。
 自分の席に戻ったサスケは、食べかけのオムライスに再び手をつける。それを見て、いのも小さく嘆息すると、食事を再開した。
 ほかほかと湯気の立つ、出来立てオムライス。
 ひとさじ掬ってサスケを見ると、目が合った。いただきますと呟くと、仕方なさそうにサスケは頷いた。大きな口を開けてぱくりと食べる。ふんわりとろけた卵がチキンライスに絡まって、トマトソースがつんと香る。予感通りの、美味しい美味しいオムライス。じわ、と涙が浮かんで、ごしごし擦った。これはサスケが作ったもの。たった今、ナルトのために作ったもの。
「…美味い…」
「そうかよ」
 ぶっきらぼうなサスケの声。当ッたり前でしょー、という満足げないのの声。特に空腹を感じていた訳ではないのに、ナルトはがつがつと平らげた。添えられたサラダまで全部食べた。それを、サスケはまたしてもビミョーな顔で眺めるのだ。
「ご…、ごちそうさまでした…」
「…気が済んだかよ」
「…」
 サスケといのは、まだスプーンを握っている。どれだけ飢えていたのだと勘違いされるのも恥ずかしい話である。
 けれど、間違いではない。
 ナルトは飢えていたのだ。
 サスケの作るものに飢えていたのだ。
「す、すっげえ、美味かった…」
「良かったな」
 まるで他人事のようなサスケの口振りは、照れ隠しのようにも聞こえる。
「俺…、俺…、これからもサスケの作るもの食べたい…」
「ハア? 甘えんな」
「ずっと俺のご飯作ってほしい…」
「何で俺が」
「サスケがいいんだってばよォ…!」
「だから何で俺なんだ!」
 自分でも、ずいぶん身勝手なことを言っている自覚はあった。けれどナルトには、もうどうしようもない欲求なのだ。
「あと、他の人には作んないでほしい…」
「はあァ!?」
「サスケの作ったもの、他の奴に食べさせたくねえんだってばよおぉ!」
 涙腺は緩みっぱなしで、ぐしぐしと拳で目元と鼻を擦りながらの要求だ。やだァ、いのは引き攣った声で呟いた。
「ちょっと、それって…プロポーズみたいじゃない?」
「…え? そう?」
「そうよぉ!」
 ああ、いのが言うならそうなのだろう。
 ナルトは奇妙に納得した。
「サスケ…これからずっと、俺のご飯、作って…」
 鼻声で、しかしまっすぐにサスケに訴える。
 カラン、とサスケの右手から、スプーンが落ちた。

 何もかもが、『未満』の頃の話である。