きょうだいのおはなし

 俺的には大団円なんていう結末では決してない。
 ぼろぼろになって結局木ノ葉に連れ戻されて、大団円だと思っているのは木ノ葉の奴らぐらいだろう。里の奴らは俺を恐れて、処刑を望んでいたはずだ。だが上層部も火の国の大名連中も、うちはの血統だけは惜しかったらしい。俺は写輪眼ゆえに生かされていた。忍の登録は抹消されて、木ノ葉の忍になんか戻りたくない俺にはそれは都合が良かったが、何とも暇を持て余す。ああ暇だ。退屈だ。どうにか復讐計画を練ってはみるものの、そもそも俺には計画性なんてものは備わっていなかったのだ。今更びっくりだ。大蛇丸の誘いに乗っかりマダラに唆され、誘導されて結局いいようにこき使われただけだった。イタチもイタチだ。もう「兄さん」なんて呼ばねえぞ。自己犠牲なんて結局は自己満足じゃないか。バカ。バカバカ。
 暇に飽かせてろくでもないことばかりを考える俺の、いいカンフル剤がナルトとサクラだった。
 始めは本当にうざくてどうでもよくて無視しまくっていたが、めげずに牢に通って俺の背中に話しかけた。いつになったら諦めてくれるんだと半ば意地で無視していたのだが、それが三ヶ月を過ぎ半年を過ぎても続いて、諦めたのは俺の方だった。何しろ俺は暇なのだ。
 ナルトとサクラは、一緒に来ることもあったが、だいたいは別だった。任務もあるし私生活もある。サクラの来る頻度は半年の間に次第に減ったが、ナルトは日課のように俺に会いに来た。どんな義務感なんだろう。始めはあれこれと勝手に喋って、次第に今日こんなことがあった、あんなことがあったという手前の日常を喋るようになった。俺が頑として無視し続けていると、だんだん言葉の数は減って、滞在時間も比例した。来てただ一言「サスケ」としか言わない日も増えた頃だった。あまりに暇だった俺は、もしやナルトがそろそろ諦めてしまうのではないかと危惧して、呼びかけに振り向いてしまったのだった。その時のナルトを見て、不覚にも俺は、じわりと感動した。
 何だか痩せた。
 いや、余計なものが削ぎ落とされて、精悍な大人の顔になっていた。背も多少伸びた。
 そんなナルトが、振り向いた俺を、慈しむみたいに見るから。
 だから、
 だからだ。
 俺は間違った方向に、絆されてしまった。
 その日を境に、俺は合法的に牢を出る努力を惜しまなくなった。

  きょうだいのおはなし

 何だかナルトに恋に落ちた。
 不毛だ。
 こんなふうに甘く胸を締め付けられるみたいな感覚は、俺には過去に覚えがない。不毛すぎる。何しろあいつは、俺のことを兄弟みたいに思ってるとか言っていた。牢の中で振り向いて目に入った、あのまなざしは確かにイタチを思い起こさせる。あれは兄弟の慈しみだ。分かっているのに、俺はそれで落ちたんだ。
 絆、とかって言葉で片付くものなら片付けたい。
 でもダメだった。
 忘れていたが俺は思い込みが激しいのだ。
 自覚があっても、一旦「好きだ」と思ったら、俺自身にも俺の暴走は止められない。何たる不始末。
 だが男が男を好きになるという不毛さゆえに、告白しようとかいう気は全くなかった。友達だろうが兄弟だろうが、ナルトは俺を気にかけている。俺はそれに乗じて、ちょっと親密な関係に収まることを狙っていた。
『全部、俺が責任持つってば』
 牢を出るために、里の上層部の様々な要求に俺はただひたすら頷いた。それまでと真逆の態度に、却って不信感を煽られたらしいが(それもそうだ)それを取りなしてくれたのは、やはりナルトだった。
 責任持つ、だって。
 俺は一人で勝手に照れた。そこに居合わせた奴らは、たぶん何かを誤解したかなと思う。俺を庇うように立つナルトは真実俺を庇っていた訳だし、その背後の俺は隠しようもなく真っ赤だったので。
 まあ、どんな邪推をされようとも俺たちの間には本当に何もない。俺を監視していた牢屋番も暗部もそれを証言してくれる。かくして、俺は禁固一年という破格の処罰で済んでしまって、現在に至る。

 制限は多い。
 まず里と火の国の外には出られないし、日常的に暗部の監視が付く。写輪眼は禁止、発動できないように封印みたいな術をかけられた。忍への復帰も強制された。だが下忍のまま、昇格試験の受験資格は永久剥奪。目の届くところで飼い殺すつもりなんだろう。
 そして義務を課せられたのが血統の存続だ。適当な相手をあてがわれるんじゃないかと思っていたら、ナルトの頑張りで俺は恋愛結婚の権利を得た。複雑だ。ナルトを好きな俺には、女と恋愛して結婚なんて道はない。いいとこお見合いだ。ナルトとは結婚できないんだから、正直相手なんて誰だって構わないのだ。
 だが、相手なんか誰でもいいと言ったら、ナルトは怒った。
 相手に失礼だとか、自分を大切にしろだとか、いつか大事な人に出会えるだとか。
 お前に言われたくない。
 俺はもうお前に出会ってる。
 だが引き下がらないとナルトがしつこいのも分かっていたので、俺は「努力する」とだけ答えた。それから一年間、俺は本当に努力した。目が合った女に片っ端から声をかけた。半分くらいは元罪人の俺に引き、半分くらいは興味本位でデートとやらに付き合ってくれた。だが全く話題に乏しい俺に、二回目三回目とデートを重ねてくれる女は歴然と減ってゆく。そもそも興味本位だったのだろうから、当然と言えば当然かも知れない。だが俺の『努力』といえば、目が合った女にちょっと声をかけるという程度で、それ以降は女次第だったのも本当だ。
 女に声をかける、というだけが果たして『努力』に当たるのか? と思われるかも知れないが、俺にとっては苦痛なのだから認めてほしい。それに、一生下忍だし元罪人だしで、女の審査基準が厳しくなるのも仕方のないことだ。話のタネにデートはしても、結婚前提に付き合うかとなると「それとこれとは別だから」という女の何と多いことだろう。ほとんどの女は視野が広い。長期的かつ理性的に判断を下しているのだ。元罪人というレッテルもさることながら、俺は経済面で真っ先に弾かれる男という訳だった。あああ。
 こうなってくると情けない。木ノ葉の広報に『うちはの子供産んでくれる人募集』とか広告を載せる方が早いかも知れない。ていうか『鷹』の時に香燐でも口説いておけば良かった。いやダメか。あいつは水月と仲が良かったし。
 そんな感じで打ちひしがれている時だった。
 サクラが俺のアパートに来た。

*     *     *


「サスケ君、見境なく女の子ナンパしてるって噂になってるわよ?」
 牢を出てから、サクラとは茶飲み友達だった。手土産の水ようかんをつるりと食べながら、サクラは微妙な顔で切り出した。
 いつか突っ込まれるだろうなと思っていたので、俺の方に動揺はない。だが、そんな噂はもっと以前からあったはずで、サクラが今日まで黙っていたのは何故だろう。たぶん嫁探しを見守っていたとか、そんなところだろうとは思うけれど。
「しょうがねえだろ。子供作らなきゃならないんだから」
「そうだけどねえ……」
 職場での出会いは少ない。何しろ下忍なので、仕事と言えば草むしりだのペット捜索だの倉の片付けだの。上忍(たいていは男)と俺を含む下忍三人という、懐かしのフォーマンセルという形。同僚となる他の下忍はアカデミーを卒業したばかりのちびっこで、そこに女が含まれたとしても対象外だ。
 必然、仕事のない日に積極的に外へ出て、サクラの言う『ナンパ』に精を出すしかない。
「その割には、うまくいってないみたいじゃない?」
「……悪かったな」
 かつての同期の女には、一通り声をかけてみた。義務なのだから仕方ない。だがほとんどが、いのですら、既に男がいた。それもそうか。恋愛に一番興味がある年頃に、俺は里を抜けていた。
 いや、だが。
 サクラには聞いていない。
 何故かと言うと、ナルトがサクラを好きだから。サクラだって、もはや重度のドベではないナルトに満更でもなさそうだし。
「……お前は、俺と結婚する気はあるか?」
 まあ念のために聞いておくか、という軽い気持ちでサクラを窺う。すると、サクラは、じっとりと横目で俺を睨んだ。
「サスケ君が私相手に勃つならね」
 俺は茶を吹いた。

 サクラお前、女が何てことを! と慌てる俺の口を、サクラがハンカチで拭う。ありがとう。
「あのね、言っておくけど、私はサスケ君のこと好きよ。それはもう、アカデミーの頃からずっとずっと好きなんだから」
「……」
 衝撃から立ち直れずに硬直する俺に、サクラは保母さんが園児に言うみたいに語りかける。
「でも、サスケ君は私のこと、恋愛対象として見られないんでしょ?」
 サクラは困った顔で頬杖をついた。もしかしたら、困った顔ではなく呆れた顔かも知れない。
「サスケ君のナンパがそれ以上に進展しないのはね、サスケ君が相手のこと何とも思ってないからだと思う」
「な、何とも、って」
 そんなことはない。必死だ。俺は子作りに励まなければならないのだ。
「サスケ君がナルトのこと好きなのは分かるけど、それにしたって誠意がなさすぎるのよ」
 誠意って何だ。
 いや待て、今すごいことを聞いた気がする。湯呑みが手から滑り落ちる。ガタンコロコロ、と硬質な音を立てて湯呑みは床を転がった。まだ幾らか残っていた中身が当然流れ出ただろうけれど、俺はサクラを見るのに一生懸命で、床にまで注意を払えない。サクラも今度は茶を無視した。たぶん俺は真っ青だった。窓なんか開けてないのに、ダイニングキッチンには寒風が吹き荒んでいた。
「何とか言ったら?」
 やっぱりサクラは呆れているんだ。
 今度こそ完全に硬直した俺は、まばたきも出来ずにサクラを凝視するしか術がない。俺が何も言えずにいると、サクラは小さくため息をついて、床の湯呑みを拾い上げた。
 それをシンクに置き、布巾を持って戻ると、サクラは床を流れる茶を拭き取る。そして姿が見えなくなって、背後で水の流れる音がして、ああ布巾を洗っているんだなと思うけれど、俺の硬直は解けなかった。事態を飲み込んで、余計に動けなくなった。
 何でだ、何でサクラはそれを知っているんだ。何を当然みたいな、基本的な前提みたいにあっさりと言うんだ。分かってんのか、俺は男だしナルトも男なんだぞ。何でフツーにそんなこと言うんだ。あっそうか冗談か。あまりにも俺の婚活がうまくいってないからって、からかってんのか。ああ気付くのが遅すぎた、今頃「ふざけんなよ」とか言ったって手遅れじゃないか。いつの間にかテーブルに戻っていたサクラといつの間にか再び見合って、俺は笑おうとして失敗した。顔は引き攣っただけだった。
「ナルトには告白したの?」
 またもやの爆弾発言に、俺は激しく首を振った。
「してみればいいのに。案外うまくいくかもよ?」
 冗談じゃない。
 ナルトが好きなのはお前なんだ。俺は更に首を振った。ああ振りすぎて目眩がする。サクラは大きな目で俺をじっと見つめた。からかわれているのでは、ないようだった。唐突に、サクラが本当に俺を心配してくれていることが理解できた。
「俺は……うちはの、血が……その……写輪眼、の……」
 言葉がまとまらない。
「そうね。うちはの血を引く子供を作るのが、釈放の条件の一つだったわね」
 察しの良いサクラが、俺の言いたいことをまとめてくれる。
「……ナルトが、釈放をかけあって、それで……出された、条件だから、」
「何よ、ナルトの顔に泥を塗らないために婚活してるって言う訳?」
 そういうことになるんだろうか。
 どちらかと言うと、ナルトの側に一番親密な友達としてべたべたくっつくため、というつもりだったのだが。言われると、そんな気になってくる。相変わらず俺は単純だ。少々落ち込んで俯くと、頭を撫でられた。目を上げると、サクラが微笑んでいた。
 ああ、覚えがある。
 あの時のナルトみたいな、兄弟の慈しみのような。それで分かった。俺のことを好きだと言うサクラもまた、その愛情はもはや肉親のレベルなのだろう。ナルトの時には痛んだ胸が、サクラには温かくなる。ああ俺もサクラが好きだ、ただし兄弟みたいな感覚で。普通は逆だな。
「ねえ、サスケ君。ちょっと実験してみない?」
「……実験?」
 サクラはいたずらっぽく笑って言った。
「そ。脈ありかどうか」
 脈なんかある訳ない。
 そう思うのに、俺はサクラには逆らえないのだ。

*     *     *


 ナルトは複雑そうに、サスケを眺めた。
 この一年、婚活と称して里じゅうと言っても過言ではないほどの数の女性に声をかけまくっていたことは、ナルトも知っている。それが悉く失敗していることも。
 アカデミー時代から女子に大変な人気を誇っていたサスケが、一年もかかりながら一人の女性も捕まえられないのが、ナルトには不思議でたまらなかった。サスケに憧れる女性は多い。たとえ元抜け忍であろうと、今は正式に復帰しているのだ。
 サスケは上層部の要求に忠実かつ従順に従っていた。配偶者ですら里が選ぶ女性で構わないという態度だった。慌ててナルトが止めなかったら、今頃は本当に里が用意した女性との間に子供が産まれていたかも知れないのだ。それはちょっと違う気がするナルトだ。
 どうも、サスケは自分の価値が分かっていない気がする、とナルトは心配になる。それはサスケだから特別価値がある、という意味ではない。人間として当然の価値を、サスケは重要視していないのだ。
 ナルトは知らず、ため息をついた。
「よう、どうした?」
「キバ」
 ナルトの視線を追って見遣れば、サスケとサクラの姿が小さく見える。
「あいつら最近よく一緒にいるよなあ」
「……うん」
「てことは、あいつの婚活もとうとう終了かァ?」
 サクラの粘り勝ちだなと笑うキバに、ナルトは素直に同意できずにいた。
 ナルトは、サクラのことが好きだった。サクラがサスケを好きだったように、同じくアカデミー時代からずっと、サクラを思い続けていたのだ。彼女がサスケを好きだということは、嫌というほど知っている。
 同時に、ナルトはサスケのことも好きだった。始めは嫌いだったのに、晴れて下忍となって同じチームになって、そして気持ちは変化した。修行では競い合い、波の国では死すら厭わず自分を庇ったサスケ。
 サスケはナルトの中で、恐ろしいほどに存在感を誇っているのだ。
 その二人が。
 ナルトの好きなその二人が、二人でいることで幸せになるのなら、もちろん応援したいし祝福もする。七班の同期の中で一人弾き出されたって、僻む訳ではない。彼らの中で、自分もまた特別な仲間だと知っているから。
 ただ、どうしたって、寂しいものは寂しい。
 それは絶対に口に出してはいけないのだと、ナルトは了解している。結婚することになったんだと言われたら、盛大に悔しがってみせてから、満面の笑顔で「おめでとう」と言う準備は出来ている。二人が幸せなら、ナルトだって幸せなのだ。
 だが、そんな固い決意は脆くも崩れ去ることになる。
 こちらへ近付いてくる二人、何故かサスケがおろおろとサクラのあとをついて歩く格好で。

「いいから来なさい、サスケ」
 そう言うのは、サクラだった。

 ナルトとキバは目を丸くした。
 来なさい?
 サスケ?
 サクラの口から出るにしては奇妙に聞こえた気がして、ナルトとキバは目を見合わせる。同じように思っていることが確認できた。
「ナルト! キバ!」
 朗らかにサクラに手を振られて、二人は呆然と手を振り返す。小走りに近寄ったサクラに、普段と変わった様子はない。それだけに先ほどの科白だけが異常な違和感だった。
「ねえ、これからお昼食べに行くんだけど、一緒に行かない?」
「おっ? いいぜ! 俺たちもこれから行くとこだったんだ、なっナルト!」
 サクラの後ろで気まずそうに立っているサスケに、キバの好奇心が瞬発力を発揮する。同じものを見ているナルトは、サスケの常にない様子に気を取られて、遅れて頷いた。

 昼時の食堂は込んでいる。
 大きな長いテーブルの、空いた席に滑り込むように座る。お誕生日席にサクラ、その左手にサスケ、サスケの向かい側にナルトとキバ。サクラは壁に貼られたメニューをちらりと見て「A定食ふたつ」と注文した。男三人がサクラを見る。まさか二人前食べる訳ではないだろう。するとサクラはふふんと居丈高に、サスケに向かって言った。
「何よ、文句ある? あんた放っとくときつねうどんぐらいしか食べないでしょ。おごったげるから食べなさい」
「……」
 下忍の安月給がそうさせるのだと理解できるナルトは、なるほど中忍のサクラが余裕を見せるのも当然か、と納得しかける。
 いや、そうではない。
 問題は何故サクラがサスケの昼食の面倒を見ているのかということだ! 俺にもおごってくれよーとサクラにすり寄るキバを放って、ナルトはサスケを凝視した。仕方なさそうにぼそぼそと「ありがとう」と言うサスケの顔が、照れか屈辱かほんのり染まっているのだ。
「つうかよ、お前さっきサスケ呼び捨てじゃなかった?」
 聞きにくいことをあっさりとキバが訊いた。
 ああ、まあね、とサクラは何でもないことのように答える。ナルトの視線の先で、サスケがびくりと固まった。
「私この前、サスケ君にプロポーズしたの」
「はぁア!?」
 ひっくり返った声を上げたのは、ナルトとキバだ。サスケは驚愕に目を見開いた。
「そしたらね、お前とだけは結婚しないって言われちゃった訳」
「ええぇ!!?」
「さ……サクラッ!?」
 慌てたように立ち上がるサスケに、しかしサクラは一瞥をくれた。
「あら、呼び捨て?」
「……」
「私のことは、何て呼ぶの?」
 ナルトとキバはサスケを見守った。サスケはどんどん赤くなって、悩ましげに柳眉を歪めた。
「──……姉さん」

 姉さん?

 消え入りそうな声に、ナルトとキバはぱかんと口を開けて、可哀想な男を穴が開くほど見つめた。
「よろしい。座りなさい、サスケ」
 しおしおと力なく椅子に沈むサスケは、そのままテーブルに突っ伏した。サクラは何事もなかったかのように、そんなサスケを無視して向かいの二人に顔を向ける。
「何で私とだけは結婚したくないのかは、いくら訊いても答えてくれないし、私は酷く傷付いた訳よ」
「お、おう……?」
「それでまあ、妥協策として、きょうだいではどうかしら、と」
 家族になるという点では同じでしょ、とサクラは澄まして言った。夫婦ときょうだいでは全然違う気がしたが、誰もサクラに突っ込めない。
「そんな訳で義姉弟なの。意外と楽しいわよ、これはこれで」
「……」
 ぶふっ、とキバがとうとう笑いだした。
「お、おま、姉弟って!! 兄ですらねえのかよ!!」
 ひーひー笑いながらばしばしテーブルを叩くキバに、周囲の目がサスケに集中する。サスケは真っ赤になって震えていて、しかし口答えはサクラが許さないのか、沈黙を守っている。ナルトは何故だか居たたまれなくなって、キバの頭をがつんと殴った。
「サスケ……」
 痛えなこの野郎というキバの声は無視して、ナルトは身を乗り出した。
「何でだよ、お前サクラちゃんのこと嫌いな訳じゃねえだろ。断るにしたって、他に言い方ってもんがあるってばよ」
 サスケは余計に俯いた。
「そんなふうに断っておいて、姉弟ならいいなんて、なんか変だってば」
 サクラは「アラそう?」と涼しい顔だ。
 だがサスケは、ぎっと目を上げナルトを睨みつけると、無言で立ち上がり踵を返した。
「サスケ!」
「いいわよ、放っておけば」
 あくまでも軽い調子のサクラに、却って恨みみたいなものを感じるのは気のせいだろうか。ナルトは小さくなってゆくサスケの背中とサクラを見比べて、それからサスケのあとを追った。
「おい、ナルト! メシどうすんだよ」
「まあまあ。いいじゃない」
 A定食お待ち、と運ばれてくる二人前の一つを、サクラはキバの目の前に押し遣る。
「えっ」
「おごったげる」
「マジでー!? 女神ー!!」
 うっかり話に気を取られて注文すらしていなかったキバは、ナルトとサスケのことなど一瞬にして忘れ去った。
「あとは結果をご覧じろ、だわ」
「えっ何?」
「んーん、何でもない」
(まあ、血統の存続については、精子バンクとか……最後の手段もある訳だし)
 サクラはほんの少し笑うと、始めからキバと二人だったかのように、いただきますと海老フライに齧りついた。


「サスケ!」
 足早に食堂を出てゆくサスケだが、全力で逃げている訳ではない。ナルトはそれほど走らずに追いつき、振り向かない腕を掴んだ。
「サスケ」
 顔だけは頑なに背けているサスケに、ナルトは腹の中がもやもやする。牢の中にいた頃の姿が脳裏を過る。
 いや、考えすぎだ、ナルトは思い直すように首を振った。本気で拒絶するなら、こんなに簡単に捕まってくれたりはしないはずなのだ。
 牢を出てから、サスケは必死だった。うちはの血を残すことが当面の任務であるとも言える彼は、その使命感で疲れているだけかも知れない。
「……らしくねえぞ、サスケ」
 真っ赤になって震える、先ほどの顔を思い描いてナルトは頬の辺りを掻く。サスケは掴まれた腕を取り戻すでもなく、ゆるゆると顔を上げた。
 まだ赤い。
 サクラを「姉さん」と呼ぶだけでこれだ。どんな羞恥プレイだ。
「お前、本当にあんなこと言って断ったのか?」
 サクラが嘘をついたと思っている訳ではなかったが、これだけ努力を重ねているサスケが言うにしては、棘がありすぎる気がする。食堂の外、昼時を行き交う人の波の中で、サスケが半歩後ずさった。
 本当なのか。
「……何でだよ」
 もしかして、サクラが相手では何か不都合があったのではないだろうか? もしかして、結婚相手を探さなければならないのはサスケにとって酷い苦痛を伴うことではなかったのか? もしかして、サスケにそんな思いをさせているのは、良かれと思って提言した自分なのではないか? そう思ってナルトはサスケを覗き込む。きゅっと閉じられた唇が解けるのを、ナルトは辛抱強く待った。
 待てないなんてことはない。
 ずっとずっと、振り向いてくれるのを待ち続けたナルトなのだ。目を泳がせるサスケは次第に俯いて、耐えられなくなったように呟いた。
「……お前、好きだろ……」
 サクラのこと。
「は?」
 ナルトは首を傾げた。
「サクラだって……お前のこと、」
「え、ちょ、ちょっと待てってば!」
 ナルトは慌てて、もう片方の腕も掴んだ。
 意味が分からなかった。
 確かにナルトはサクラが好きだ。でもサクラはサスケが好きなのだ。何か勘違いをしているのか。いや、それだけじゃない。ナルトは赤い顔を覗き込みながら、脳味噌フル回転で考えた。
 ナルトがサクラを好きだから、サスケはサクラとだけは絶対結婚しない? 何でだ? ナルトは腕を掴む指先に力を込めた。それはナルトがサクラと結婚できる余地を残すため、としか考えつかない。
「……俺のため……!?」
「ち、違うッ」
 慌てたようなサスケの唇が、言って再びきゅっと閉じられる。一瞬合った目が、怯えたように逸らされる。
 肯定だ。
 ナルトは愕然とした。
 サスケを牢から出すためにあちこち駆けずり回ったナルトに、彼は引け目を感じていたのだろうか。何ということだ、ナルトはぎりりと歯を食いしばった。サスケに気を使わせたかった訳ではないのに。
「俺のためとかそういうんじゃなくて! 俺はお前の気持ちを聞いてるんだってば!!」
 思わず声が大きくなる。
 サスケは真っ赤に沸騰した顔で、うっすらと目に涙すら滲ませて、ぎらりとナルトを睨めつけ──。
「だから言ってんじゃねえかバカ! 鈍感!! ウスラハゲ!!!」
「ハゲ!!?」
 言い捨てるなり手を振り払い、今度こそ完全に姿を消した。
 名残の僅かな砂煙をぽかんと眺めて、ナルトはしばし呆然とする。意味が全く分からない。
「なるほど。彼は君のことが好きなんだね」
「……は?」
 いつからいたのか、サイがフムフムとサスケの消えた方向を眺めていた。
「……何でそうなるんだってばよ」
 人の心境や心理についてトンチンカンな判定を下すことの多いサイに、ナルトは疑わしげなまなざしを送る。その呟きはツッコミであって、決してサイに解説を求めたつもりはない。だがサイはきょとんとして、小首を傾げた。
「彼は、君がサクラを好きだからサクラとは結婚しない。でも君のためじゃないって言ったよね」
「いや、だから何でそれが……」
「君は『お前の気持ちを聞いてる』って言ったじゃないか。そして彼は『言ってる』って答えたんだよ」
「……」
 だから、それの何が。
 さっぱり分からなくて、ナルトは苛々と眉間を寄せた。
「それってつまり、彼は自分のために、君が好きなサクラとは結婚しないってことだよね? それって君の幸せを願っているってことなんじゃないの? 君が幸せなら彼も幸せ、ということだと思うけど。違うかな?」
 がつん、と頭を殴られた気がした。
 それはまさに、サスケとサクラを見てナルトが願ったのと同じことだ。いや待て、サスケはきつい言葉でサクラを振った。それがもし八つ当たりというものであるならば? サスケが好きなのはサクラではなく──。
「ねえ、ナルト」
 サイが真面目くさった顔でナルトに向き直った。
「これからは君のこと『ウスラハゲ』って呼んでいい?」
 すごくいいあだ名だね、サイはいたく感動した風情だ。ナルトは「勝手にしろぉォォ!!!」という叫び声を谺させ、サスケを捜し出すため影分身の印を結んだ。

 昼食抜きのナルトが結局サスケのアパートで彼を捕まえるのは、それから二時間後のことだった。
 うまくいったのかどうかは、ちょっと分からない。