うずまき荘の住人

  うずまき荘の住人

 ピンポーン、と安い音が室内に響いて、ミナトは首を傾げた。来客の予定なんか、ある訳がない。けれど呼び鈴が鳴ったのが空耳などではないのも、また事実。
「はーい」
 呼び鈴だけでインターホンは付いていない安アパートだ、ミナトはとたとたと玄関へ走ると、薄い扉を躊躇なく開けた。
「こんにちは」
 そこには黒い外套に身を包んだ黒髪の男が、包みを持って立っていた。


 長めの黒髪をゆったりと後ろに結わえた若い男、ミナトは何の警戒心もなくじっと観察する。どこかで見たような、見ないような。知り合いに似ているような、いやこの本人に見覚えがあるような。
「お久しぶりです、四代目」
「あっ」
 ニコリとはにかんだような笑みで小首を傾げるその動作に、ミナトは声を上げた。
「イタチ君だ!」
 思い出すのに時間がかかったのも無理はない。何しろ会ったことがあるのはイタチがまだ幼い頃なのだ。その時から既に分別を備えた利発な子供だった。神童と言われた子供が、そのまま予想される通りに成長している。
「うわあ、本当に久しぶりだね! なになに? どうしたの?」
「ここに引っ越してきたので、ご挨拶を」
「引越? ここに? へええ……あっご丁寧にどうも!」
 差し出された包みを遠慮なく受け取って、ミナトは当然のようにイタチを部屋へ上げた。
「お茶入れるから、テキトーに座ってて!」
「お構いなく」
 一人暮らしの小さな卓袱台を指さして、ミナトはいそいそと台所へ向かった。
 こんなところに来客があるだなんて、思ってもみなかった。しかも、まさか、引っ越してきただなんて。それがイタチだということに、ミナトは浮かれた。あの小さかった子が、こんなにも成長している。自分を見て、変わらない控えめな笑みを整った顔に乗せる。幼い頃ほんの数回会っただけの自分を、覚えていてくれた。
「はい。粗茶ですが」
「ありがとうございます。頂きます」
 外套を脱いだ姿は、ずいぶん細くすらりとしていた。完璧な、しかし気負うような神経質さのない正座で湯呑みを手に取る。部屋は簡素だし、座布団もない畳に卓袱台という素っ気なさの中にあって、イタチが手に取ったというだけで煎茶は抹茶のようだし湯呑みも名品に見える。同じうちはでもフガクとは違うな、とミナトは思う。
「あっ『源吉兆』だね!」
 貰った包みの包装紙に印刷された名に、懐かしさがこみ上げる。ここに越してきて以来、見ていない和菓子屋の名前だ。
「お好きだったと聞いた覚えがありましたので」
「ん、すごく好き! ありがとう」
 イタチはふわりと微笑んだ。
 ああ綺麗な笑みだ、ミナトは嬉しくなる。
「開けていい?」
「どうぞ」
 ぺりぺりと包装紙を剥がすと、中には水まんじゅうが品良く並んでいた。一緒に食べよう、と小皿に移すと、イタチも遠慮など見せずに小さく頭を下げてくれる。ああ久しぶりだ。吉兆の水まんじゅうもイタチも久しぶりだ。美味しい、と思うのも、きっとイタチがそこで一緒に食べてくれるから。
「ねえねえ、イタチ君の部屋はどこ?」
「この階の一番端です」
「ええっ! もしかして、この部屋から一番遠いってこと?」
 ミナトの部屋は、この階の端にある。廊下を挟んで向かい側にも部屋が並ぶが、イタチの口振りから察してそう言うと、頷かれてしまった。
「何でー! せっかくなんだから、お隣とかお向かいとかにすればいいのに!」
「そういう訳にはいきません」
 イタチは苦笑した。
 けれどミナトは納得がいかない。何しろこのアパートには、ミナトしか住んでいないのだ。部屋なんか空き放題なのに、わざわざ一番遠い部屋を選ぶなんて!
「生活の音は、意外に迷惑になりますので」
「そんなことないよ。人の気配がするの、すごく嬉しいよ! オレずっと一人だったし」
「では、俺も……生活の音が恋しくなったら、お隣に引越をさせて頂くことにしますね」
「……」
 それはイタチの方が、生活の音を煩わしく感じるということだ。にこやかにバッサリとそう告げるイタチに、ミナトは却って好感を抱く。こちらが元火影だからといって、必要以上の遠慮はしないスタンスなのだ。
「そしたらさ、その時はもういっそ一緒に暮らしたらいいと思うよ! ね!」
「このアパートの部屋、全部ワンルームですよね?」
 暗に拒否される。
 ああ可愛いなあ!
「大丈夫! 改築するから!」
「勝手にそんなことをしていいんですか?」
「平気平気、気にしない」
「ではそんな日が来たら、是非お願いします」
 これも、そんな日は来ないと言っているのだろう。けれどミナトは、どんな言葉だって嬉しいのだ。正直、このアパートに自分以外の人間が引っ越してくることなど、ありえないと思っていたから。
「でもさ、何で君、ここに引っ越して来たのかな。オレとしては嬉しいけど、何かあった?」
 ミナトはかれこれ16年、このアパートに一人住まいだ。それにはもちろん、理由がある。イタチにも何か、理由があるのだ。
「……あなたの息子さんが」
「え、ナルト?」
 イタチが、それはそれは嬉しそうに、しかし精一杯それを押し隠して笑んだ。
「俺の弟に関して、とても頼もしいことを言ってくれたので」
 イタチの弟? ああ、そういえばナルトより少し前に、フガクに第二子が生まれたと言っていたことを思い出す。結局その子には会ったことがないままだった。
「弟……サスケ君、だよね?」
「はい」
「うちの子が、何て?」
「里を救うのにサスケを殺さなければならない時、殺せるのかと訊いたんです」
 そうしたら、とイタチは今度こそ隠しようもなく微笑んだ。
 ミナトはまばたいた。
「里は救う、サスケも殺さない、と」
「……ん! そうだね」
 それはミナトの期待した通りの答えだった。そうあってほしいと願った通りの。かつて師の書いた小説の主人公のように。
「それで…いざという時のために、ここへ」
「そうだったんだね」
 ありがとうイタチ君。
 ありがとう息子、よくやった! お陰で孤独だったここでの生活にも張りが出来た。
「ただ……」
「ん?」
 嬉しそうな顔はそのままに、イタチが言い淀む。
 なになに? と顔を覗き込むと、照れたように僅かに視線を泳がせる。あああ可愛いなああ!
「……あの、ナルト君なんですが……」
「ナルトが?」
「サスケに対する友情が、その…少々ゆきすぎている節がありまして……」
 ゆきすぎ? イタチの顔がさあっと赤く染まる。ミナトは口を開きかけたまま、それを見つめた。
「あ……ええぇ……、困ったな! ゴメンよ、イタチ君、うちの息子が……」
「いえ、その……。実は、愚弟の方も満更ではない様子で……」
「え!」
 イタチは困ったように、おずおずと畳に手をついて頭を下げる。
「万が一、二人が沿い遂げてしまうようなことになれば……四代目、あなたの血筋が途絶えるということになります。俺はあえてナルト君を牽制しなかったし、愚弟にも言わないつもりです。申し訳ありません」
「ええ、ちょっと、頭を上げてよ! そんなのは本人同士の話だし、オレは別に気にしないよ!?」
「そうですか?」
 慌てて肩を掴んで顔を上げさせると、上気した頬はどこへやら、存外けろりとした目がミナトを見た。
 何だ今のは社交辞令か? 演技か芝居か計算なのか? だがミナトはそんなイタチが可愛らしく見えて仕方がない。イタチはサービスのように、小さく首を傾げて思案する様子を見せた。
「……もし、二人がうまくいってしまうのなら……」
「なら?」
「四代目と俺も、家族になりますね」
「!」
 世界が開けた、気がした。
 何て素晴らしいことを言うのだろう! ナルトの父親であるミナトと、サスケの兄であるイタチ。ナルトとサスケを介して、自分たちまで『家族』になれる。
「イタチ君、すごいこと言うね!」
「すみません。大それたことを言いました」
「いいことを言ったんだよ!」
 思わず、掴んでいた肩を引き寄せて抱き締める。イタチの体はまるで逆らわずに、ミナトの腕の中に収まった。ああ小さかったイタチが脳裏に蘇る。今と同じように、抱き上げても嫌がらなかったし緊張も見せなかった。
 黒髪の頭に金髪をすり寄せてから、がばっと体を離す。
 いいことを思いついた!
「ねえ、イタチ君! オレたち、先に家族になろうよ!」
 ナルトはたぶん、こうと決めたら諦めない。先ほどのイタチの話からも窺える。サスケの方も満更でないなら、あとはもう時間の問題だろう。
 そう思って発した科白は、しかし。

「あ、それはダメです」

 イタチには一刀両断にされた。
「え、何で!」
「物事には順序がありますので」
 順序。
 そういえば、あまりに優秀だった小さなイタチに、冗談で『今すぐオレの専属になって』と言った時も、ダメですとすげなく断られた記憶があった。あの時も『物事の順序には意味がありますから』と諭されたのだ。子供に。
「では、今日はこれで失礼します」
「えっもう!?」
「お茶、ごちそうさまでした」
「もっとゆっくりしていけばいいのに!」
 久しぶりの『会話』がこれだけでは物足りない。なのに、イタチは「引越の片付けが途中ですから」と立ち上がってしまう。ミナトは落胆した。
 けれど、見計らったように、イタチは言うのだ。
「部屋が片付いたら、お招きしますので」
「……」
 何なのだろう、この飴と鞭は。弟に対してもこうなのだろうか。フォーマンセルで下忍の面倒をみたことはあっても、実際に子供を育てたことのないミナトには、何かが新鮮だ。嬉しくて、ミナトは笑った。
「ん! 待ってるよ!」
 それにイタチも微笑みを返す。
 ご近所付き合いは始まったばかりなのだ。少しずつ楽しんでいけばいい。

 そして、イタチが帰ったあと──。
 吉兆の水まんじゅうがひとつしか残っていないことに「あれオレ一個しか食べてないよね?」とミナトは首を捻る。確か8個入りだった気がする。しかし二人しかいない空間で、煙と消えてしまうのでなければ、6個をつるりと平らげたのはイタチということにしかならない。いつの間に。
 吉兆が好物なのは、イタチの方が上のようだと気が付いて、ミナトはその微笑ましさに顔が緩むのを止められなかった。