自業自得!?

 熱いシャワーを強めにして頭から被る。散々泣いた目元がひりひりと滲みた。震える体を念入りに洗う。シャンプーがその目元に流れてきて慌ててきつく閉じる。だがお湯さえ滲みる瞼に、シャンプーは酷い刺激だった。手で拭っても塗り広げるだけで、サスケは苛々とシャワーに顔を突っ込む。ああまた目が赤くなってしまう、シャンプーがかからなくても充分赤いくせに責任転嫁した。
 ようようといった体で浴室を出る。
「サスケ」
 気配には気付いていた。髪を拭くタオルの隙間からチラリとナルトを見る。ああ自分の目は絶対に赤い。状況としては、数日前のあの朝と、ほとんど変わりはないのだ──。

  自業自得!?

 あの日サスケの放った麒麟は、イタチに食らわせた規模に比べたら格段に小さかった。雷雲は自分で呼び寄せまくったものではなかったし、確実にしとめようという気もなかったからだ。言わばプチ麒麟である。けれどナルト以外が食らえばただでは済まなかっただろう。『あ』『ん』の門は半壊したし、地面も多少体積が減った。
 その賠償は、しかし綱手はナルトに課していた。もちろん色々と誤解したままの綱手は、そのプチ麒麟がナルトへの制裁だと理解したのである。しかも、ナルトはその賠償命令を神妙な顔で受け入れた。ナルトもまた盛大に事実を曲解していたためだった。
 ナルトは直撃を辛うじて避けたようだったけれど、プチとはいえ麒麟の電撃から完全に逃れられる訳もない。こんがり通電して綺麗に気を失って、病院に担ぎ込まれていた。けれど一日入院しただけで済んでしまったのは、さすがナルトと言うより他なかった。
 ほんのちょっぴり期待した『電気ショックによる記憶喪失』は、まあ失敗だった。そうそう都合良くは運ばないものだ。かくして、サスケは目の前に現れたナルトから逃れる術を失った。
「じゃあ、来週な」
 やけにキリリとろくでもない提案をしたナルトは、お互いの休みが重なる前夜に約束を取り付けて、その場はおとなしく帰っていったものだ。
 ろくでもない提案、それは例のアレである。
 一時は頭を抱えて途方に暮れたサスケだったが、あとで話を聞かせろと言ったキバに話したら、何となくモチベーションが上がってきた。キバは面白がっているだけだと分かる。サスケには、それが良かったのだ。親身になって心配されるより気が楽だった。
『良かったじゃねーか念願叶って!』
『……念願じゃねえ』
『似たようなもんだろ? しっかしナルトの奴、相変わらず意表を突くのが上手いよなあ!』
 意表を突くというか、何故そういう結論に達するのかサスケには理解できない。過ちを犯したと勘違いするだけなら、まだあり得ると納得することも可能なのだが。
 覚えていないからもう一度やらせてくれ、ナルトはそう言った。実際は何もしていないのだから、無理に嫌な思いをすることなどないのに。これで「やっぱりいいもんじゃねえなー」などと思われるのも癪だ。
 いや、白状するならサスケは、そもそもナルトが現実に自分に対して勃つのかどうかが不安になっていたのだ。
 何しろ──男同士でのセックスには肛門を使うのである。ナルトを好きだときちんと自覚のあるサスケでさえ、多少は抵抗がある。だって、どう考えても、汚い場所だ。お前のだったら汚いとは思わない、とかいう精神論を翳してみても、実際そこは排泄物の排出場所だ。大腸菌まみれだ。せっかく勃ったとしても、いざ挿入という段になって萎えることだって、充分考えられると思わないか!
『……心配だ』
『大丈夫だって、何とかなるって!』
 完全に他人事のキバは、サスケが何を心配しているのかすら察していない。ばしばしと背中を叩かれたサスケは、それでももう逃げるつもりはなかった。不安と同じくらい、再びあの期待感に見舞われてしまっていたのだった。
 つまり、結局はナルトのことが好きなのだ。
 これでナルトの気が済めば、かつて期待した『一夜の過ち』も成立して一件落着なのである。ナルトに引く気がない以上、もはやそう割り切るしかなかった。

*     *     *


「……どうした、それ」
 ピンポン、と薄べったい呼び鈴にドアを開けると、そこにはぷっくりと両頬を腫れ上がらせ、片目に青タンを作ったナルトが立っていた。
 いよいよ約束の日だ、ドキドキしながらドアを開けたというのに、一体何のコントなのか。訊かれたナルトはエヘヘと頭を掻いて「サクラちゃんにちょっと」と呟いた。今日という日にサクラの名前がナルトの口から出たことに、少なからずムッとする。
「……入れ」
 ぶっきらぼうにアパートへ招き入れると、ナルトは多少緊張した面持ち(腫れ上がった顔なので、あくまでもサスケの主観である)で律儀に「お邪魔します」と言った。
「サクラに何をした」
「いや、何もしてねえってばよ」
 とりあえずダイニングで椅子に座らせて、救急箱を出す。口を開かせて覗くけれど、中は切れていないようだ。目の周囲に消炎軟膏を塗り、両頬は手拭いで巻いた保冷剤を当ててやる。恥ずかしそうにナルトは笑った。面白い顔になった。
「あのさ、俺ってばさ、酔った勢いで……その、やらかしちまった訳だけどさ、」
「……」
 ナルトの中では、完全にあの夜サスケを押し倒したことになっている。何度否定しても無駄だったので、サスケは口を挟まず胡乱に青タンを眺めた。
「正直あの時どうやったのか分かんなくてさ……まあその、何だ、イザってなれば本能っつうの? で、出来るとは思ったんだけど……」
 まさか。
 テーブルに肘をついて両手で保冷剤を支える可愛いポーズのナルトに、サスケは呆れたまなざしを向けた。
「……聞いたのか。サクラに」
「まっまあ、一応な!? 一応、その……医療班的な意見ってゆうか、正しいやり方ってゆうか……」
「それで殴られたのか」
「……ビンタ一往復のあと、正面に右ストレートな」
 辛うじて正面を避けたがゆえの、左目の青タンなのだろう。サスケはため息も出ない。とりあえず分かるのは、ナルトとサクラの距離が凄絶に開いたということだ。『一夜の過ち』ののち、普通に結婚するだろうナルトの相手は、サクラである可能性は限りなく低くなった。
「自業自得だな」
「そっ、そりゃあさ! 女の子に聞く話じゃねえよなって、俺だって思ったけど! でもちゃんと、聞くべきことは聞いてきたってばよ」
 レクチャーしてあげるからまず殴らせなさい、と言われたのだそうだ。ナルトは手で押さえていた手拭いの両端を頭上に結び、自由になった手でポーチを探った。
「これ、ローションな。専用なんだって」
 ことりとテーブルに可愛らしい瓶が置かれる。瓶とは言ってもプラスチック製の容器で、ラベルと蓋はピンク色。専用って何だ。
「これは、一応傷薬。麻酔成分も入ってるから、裂けて出血したら途中でもすぐ塗ってって言ってた」
 軟膏の容器はごく一般的なものでラベルなどは貼られていない。サクラの特製なのかも知れない。途中って何だ。
「あと、これはマナーだって」
 最後に置かれたのは、いわゆる『今度産む』だ。マナーと言われればそうなのかも知れないが、サスケは男で、孕む危険度0%である。必要性はあまり感じなかったが、サスケは「ふうん」と相槌を打った。
 三つのアイテムをテーブルに並べられ、これでは何だか研修のようだとサスケは思う。ちょっとした期待感なんか、頬袋に餌を貯め込んだハムスターみたいな顔を見た時点で鎮火している。その上これではムードも何もない。いやもちろん、ナルトにムードなど期待していた訳ではなかったけれど、研修みたいに「じゃあやってみようか」というのも味気ない。サスケは三種の神器を無為に眺め、それから言った。
「まあ、じゃあ……とりあえず、今日はメシ食ったら帰れ」
「ええッ!?」
 今日はお互い任務帰りである。ナルトが来るからと簡単に食事の準備はしてあったので、それを余らせるのはもったいない。そういう意味で言ったのだが、ナルトは不満の声を上げるのだ。
「な、何で!? 今夜やるんじゃねえの!?」
「……そんな顔で言われてもな」
 表情を作るのも疲れてしまったサスケは、真顔でじっとナルトを見つめた。
 前述の通り左目には青タン、両頬は腫れ上がって、残念なフグのような顔。駄目押しに、保冷剤をくるんだ手拭いをおたふく風邪か虫歯の子供みたいに顔に巻いて、頭のてっぺんで結んでいる。
「最中に笑わねえ自信がねえよ」
「……」
 思わず両手を顔に遣るナルトは、自分の状態にようやく思い至ったようだった。ちらり、とすぐ側にある玄関の鏡を覗き込み、黙り込む。
 だが、くるりと振り向くその顔は、何故だか凛々しく輝いていた(もちろんサスケの主観だが)。
「大丈夫。これぐらいなら、メシ食ってる間に治るってばよ!」
 サクラも多少は手加減したということだろうか。けれど期待と落胆を繰り返すのもいい加減にしたいサスケは、お疲れ気味に「ふうん」と返すのが精一杯だった。


 サスケが用意していたのは、肉団子と野菜のあんかけだった。炊き上がったご飯を丼に盛って、各自で好きなだけあんをかける。簡単に出来て腹を満たせる丼系は、忙しい身にはとても重宝だ。
 一人ならそれだけで済ませるところを、今夜は溶き卵のスープと春巻きも付けた。春巻きは出来合いの惣菜だが、サスケが最近気に入っている店のものだ。
 そして、ビールか何か飲むかと訊くと、ナルトはきっぱりと「今夜は飲まないってばよ。絶対!」と言い切った。前回泥酔して記憶がないことを、よほど後悔しているのだろう。サスケとしてはシラフでベッドインするなんて、ちょっと勇気がない。俺は飲む、と瓶を開けた。もちろん瓶一本では大して酔わない自信はあるのだが、まあ景気付けのつもりだ。
 ナルトは丼に目を輝かせると、少々遅くなった夕飯にありついた。
 ビールを片手にサスケがぽかんとナルトを見つめてしまったのは、その食べっぷりのせいだけではない。食事の時にはさすがに邪魔だと、保冷剤と手拭いを外していたのだが──。
「ん? 何?」
「……いや」
 両頬の腫れは、本当に引き始めていた。確かに食事が終わって風呂から上がる頃には完治するのだろう。青タンはそのままでも、瞼の腫れも確実に良くなってきている。
 サスケはそのことには触れず、勢いよく減ってゆく丼に目を移した。
「……お前、野菜も食うようになったんだな」
「ん、まあ、こーゆーふうになってれば結構食えるってばよ。ラーメンに乗っかってんのとか。まあ、肉の方が好きだけどな!」
「肉団子多めにしておいてやっただろうが」
「うん。美味いってばよ!」
 もぐもぐと口を動かしながら、弾けんばかりの笑顔がサスケを見る。きゅん、とウッカリ高鳴る胸の鼓動に、サスケは急激に緊張し始めた。
 そう、どんなブサ顔になろうとも、この男を好きだということには変わりないのだ。そもそも顔だけを好きになった訳ではない。どこが好きなのか訊かれると言葉に詰まるが、とにかくちょっとズレたところも含めて『ナルト』が好きだ。そのナルトに笑顔を向けられて、ときめくなと言う方が無理なのだ。サスケはグラスのビールを一息にあおった。
「お前、飲んでばっかじゃなくて、」
「分かってる」
 飲み干したグラスに再び瓶を傾けるのを咎められ、サスケは不機嫌にレンゲを手にし、あんかけ丼を食べ始めた。もう味なんか分からない。このあと本当にメイクラブしてしまうのだろうか! 微かに手が震えるのも妙に顔が火照っているのも、ビールのせいだと思ってほしい!
 まあ実際は、夕飯に夢中のナルトはサスケの様子になんか気付いていない。自分が何故サスケのアパートに押し掛けることになったのか、そんな原因すら、忘れているかのような脳天気さだった。


「えっと……それじゃあ……」
 ベッドの上に胡座をかき、ナルトはもじもじとサスケをチラ見する。もちろんナルトはここへ来た目的を忘れてなどいなかった。そしてその両頬は既に完治していたし、片目のパンダ模様も部屋を暗くしてしまえば大して気にならない。お見事としか言いようがない。
 食事を終えて交代で風呂を使ったら、結構な時間になってしまった。お泊まりセットを持参していたナルトだけれど、その姿はパンツ一枚、あの時と同じだ。パジャマを持ってこなかったのは、つまり必要がないと判断したからだろう。サスケは緊張のあまり棒立ちだった。あとに風呂を使ったサスケは、いつものように浴衣を羽織っている。すぐ脱ぐのに浴衣なんか着て、と思うと何だか恥ずかしがっているみたいで恥ずかしい!
「サスケ?」
 呼ばれて、ぎくしゃくとベッドに近寄り、腰を下ろす。これではまるで恋人とか夫婦とか、とにかく合意みたいではないか。いや合意には違いないのだが趣旨が違う。それでもとうとう、夢にまで見た『一夜の過ち』だ。サスケは深呼吸した。
「ご、ゴメンな……!」
 その深呼吸をため息と勘違いしたナルトが、慌ててサスケの背中に謝った。
「サスケにしてみれば、こんなこと、二度としたくねえってのは分かってるってばよ!」
 勘違いを重ねるナルトはバカバカしいほど真剣だ。そして今夜の『過ち』に至る原因も、特に忘れていたということでもなかった。サスケは耳まで熱い自覚がある。勘違いしたのはナルトの勝手だが、それに便乗する身としては、やはり申し訳ない気持ちも多少はあるのだし。サスケは俯いたまま言った。
「嫌じゃねえから」
「え?」
「別に嫌じゃねえから……するならさっさとしろ」
 ビール瓶一本分の酔いなんて、とうに抜けている。この顔の火照りは湯上がりだから、だなんて思って貰えないものだろうか。
「……ん」
 微かな返事が耳の後ろで聞こえ、次いで体温が背中を覆う。背後から回された手が、サスケの浴衣の帯を解いた。


 ……とまあ夢のようと思ったのはここまでだった。
 素っ裸に剥かれたと思うといきなり尻にローションを垂らされ、肛門に指を突き立てられたのだ。ナルトが男の肛門に指を入れるのに躊躇がなかったのも恐ろしい。更に言えば、ムードを求めていた訳では、決してない。けれどこれはあんまりではないだろうか!
 爪を短く切っているナルトの指はローションの助けを借りてすんなり入ったけれど、痛いというか、もう単純に気持ちが悪い。たぐり寄せた枕を抱き、顔を伏せてただ耐えた。気遣わしげに「痛くねえ?」と訊いてくるのに首を振るが、そんなのは「痛くないだけ」だ。
 指を二本に増やされた時には、実際痛かった。惜しげもなく追加されるローションのお陰で、入るには入る。またも「これは痛い?」と訊いてくるので何度も頷けば「ゴメンな、ちっと我慢して」ときた。我慢かよ!
 どれだけ我慢を強いられたか見当もつかない。
 けれどようやく指が引き抜かれて、振り向いてぎょっとした。ナルトの息子さんと目が合ったのだ。文字通り一皮剥けて、既にしっかり一人立ちしている。こんなだったか? 下忍になりたての頃、いや、最近だって一緒に水浴びしたこともあった。寝ている息子さんはここまで大きくなかった気がする。勃つだけでこんなに変わるのは珍しいんじゃないだろうか? てゆうか勃ったのか俺を相手に! それだけは嬉しい、けれど、いや待てそれを入れるのは無理がある、絶対に。
 少々青ざめたサスケに全く気付くことなく、ナルトは息子にコンドームを被せようと格闘していた。
「ん、アレ?」
 慣れていないのだろう、不器用な手つきで躍起になるが、上手くいかない。つるんパチンと逃げるばかりのコンドームに、ナルトの焦りはイライラに変わってゆく。
「おい、ナルト」
 いくら不器用でも頭さえ被せてしまえばあとは簡単なものを、何をそんなに手こずっているのか。貸せ、と奪い取ると、サスケは単純な理由に気が付いた。
「……サイズが合ってねえよ」
「え、これサイズとかあんの?」
 見比べただけで一目瞭然だ。多少伸びるとはいえ、無理矢理被せたとしてもたぶん最中に外れる。もしくは破れる。
 これを渡したサクラに罪はない。ナルトの息子さんがまさかここまで成長しているとは思わなかったのだろう。
「え……えっと……、マナー違反、したらダメ……?」
 情けない顔をするナルトとは裏腹に、息子さんの方は揺るがず臨戦態勢だ。サスケは力なく息を吐いた。
「……孕む訳でもねえし、構わねえよ」
「サスケ……!」
 正直、指二本でも痛かったところへこんなものが入るだろうか。割としつこく解された気はするが、悲惨なことになる予感は拭えない。体をひっくり返されながら、思わず軟膏の場所を確認してしまった。
「じゃあ……お邪魔しますってばよ……」
 息子さんにもローションを塗りたくったナルトが背後に覆い被さる。ドキドキするのは期待よりももはや不安のせいだ。サスケは抱き締めた枕に顔を埋めた。
 ぬるり、と先端が肛門に押し当てられて緊張する。ナルトはサスケの緊張が緩むのを見計らって、腰を進めた。なるほどサクラからレクチャーを受けただけのことはある、と思ったのはその一瞬でしかなかった。
「い……ッ」
 痛い。
 ヤバい、痛い。
 みしみしと音が聞こえそうなほどだった。ああヤバい。ローションのお陰で表面は裂けたりしていないようだが、括約筋あたりが考えたくない事態になっている気がする。嫌な汗がどっと噴き出した。
「サスケ……、力抜いてくれ、てば……」
 確かに全身緊張してしまっている。力を抜かなければ危険だ、とサスケも思う。けれどどうすればいいのか分からない。ナルトの手が、支える腰から脇腹を撫で上げて余計に力んでしまう。
 だが、その力みは長くは続かない。呼吸と共に緩む一瞬で、ナルトは先端を突入させることに成功した。そのかわりサスケは激痛に襲われていた。
 痛い。
 痛い痛い痛い痛えよこのバカ!!!
 目の前がチカチカする。空気を吸えなくて、しかも吐き出すことも出来なくて、声なんかもちろん出ない。枕をがぶりと噛んだまま、ぶわっと滲むものが涙だなんて、しばらく気付けない。体ががたがたと震える。あらぬところが痛むのと、不安と、もしかすると僅かばかりの恐怖。体内に押し入る異物の果てしない存在感。
「は、入……った、サスケ……、」
 首にかかる吐息混じりの情けない声に、やっと何をしているのか思い出す始末だ。
 そうだ、今、セックスをしている。
 一夜の過ちだ。
 こんな痛くて苦しいばかりのことだと分かっていたら、断固拒否したのに。ああ、でも、確かに思い出にはなるかも知れない。酷い思い出だけれども。何故だか涙が止まらない。必死に枕に押し付けて吸い取らせる。
「うあ、ん……っサス、サスケ、ど、しよ……ッ」
 逃がすまいとするかのようにぎゅうぎゅうと胴体を抱き締められて、サスケは余計に息が出来ない。ぴったりと密着しているということは、ある程度は進入を果たしているのだろう。
「あ、オレ、あ、わ……ッ」
 不意にビクリと体を震わせたかと思うと、ナルトの体から力が抜けた。体重をまともに受けて、サスケの肺から空気が押し出される。反動で呼吸を再開することが出来たサスケは、枕から口を離した。
 ぜえぜえ、はあはあ。
 二人して長距離走のあとみたいに、ひたすら空気を取り込むのに必死だ。ナルトが重い。でも嬉しい。ナルトの腕がしっかりと自分の体を捕まえているのが嬉しいのだ。後ろは痛いまま、けれどふと圧迫感が多少弱まっていることに気付く。痛みに慣れてきたのか。いや違う。
「ご、ゴメ、」
「は?」
「出ちゃった……」
「……」
 つまり息子さんが落ち着いたということだった。首の後ろにナルトが額をすり寄せる。はあ、と一際大きく柔らかなため息が皮膚を滑り、サスケはぞくりと背を震わせた。
 ナルトにつられるように、サスケの体も今は弛緩している。もちろんバックはズキズキと痛んだままだが、耐えられないほどではなくなっている。
 の、だが。
 今度は途方もない違和感に苛まれ始めた。
 挿入される時は痛いだけだった。それが今、とある感覚にハラハラしている。
 ●●●である。
 全部伏せては意味がないか。
 ウ●●である。
 非常に健康的──つまり太さも長さも固さも立派な●●●が、出かかったまま往くもならず退くもならずという感覚なのだ。その困った感覚を、ベッドの上で味わっているというのが大変いたたまれない。
 その時ナルトがむずがるように弱く声を上げた。
「さ、サスケ、それ……ダメ……ッ」
「あ……?」
「き、もち……ぃい、てば、」
「え?」
 何を言われているのか分からない。
 何もしていないつもりのサスケだが、強烈な排泄感に、体は無意識にもそれを押し出そうと試みていた。下腹部には排泄時の力みが加わり、それでも居座るナルトの息子さんをじわりと押し撫で、ひくりひくりと刺激しているという訳だった。
「おい、ナル……ト……ッ」
 挿入して三分も経っていないとしても、正直もう勘弁してほしかった。情けない初体験だが、痛いものは痛いし立派な息子さんも●●●としか思えない。
 けれど甘かった。
 若くて元気で人よりスタミナを誇るナルトが、一回発射したぐらいで治まる訳がなかったのだ。
「ナル……っ!」
「……あ、ぁ……どうしよ、サスケェ……気持ちい……お前の中……ッ」
「!」
 そうか気持ちがいいのか。それは良かった。でもどうもしなくていいから早く抜いてくれ。そう思うのに、次第に硬度と体積を増してゆく感覚に歯の根が合わなくなって、言葉が出てこない。軽く引かれる。再び押し入られる。ぐちゅりと掻き回されて、中に放たれたものを認識させられる。かあっと頭に血が昇った。ああそうだ確かに望んでいたことだ。一夜の過ち真っ最中なのだ。
「サスケ……っ!」
 切羽詰まったナルトの声に、サスケはとうとう、抵抗を手放した。

*     *     *


 それを、絶賛後悔中のサスケである。「やめろ」と言うべきだった。ナルトは言ったではないか、記憶に残る『一発』を、と。一発は一発だ、暴発したのはナルトの事情であってサスケには関係ない。
 やめろ、と言えなかったばかりにサスケは酷い目に遭った。あのあと結局何回されたのかも分からない。がっつんがっつん掘られてぐちゃぐちゃにされて、途中で思い出したようにナルトの手がサスケを慰めに回ったけれど、痛いし気持ち悪いし勃つことはなかった。痛くて泣いてる(それだけではないが)なんて知られたくなくて、枕に顔を押し付けていた訳だけれど、いつの間にか枕はどこかへ消えてしまった。困ったように親指で涙を拭うナルトの顔は何となく覚えている。だが全く容赦なんかなかったのだ。気が付いたら朝というか昼だった。
(酷ぇ……)
 体じゅうが軋みを上げている。健やかに眠るナルトを乗り越えるのもひと苦労だった。緩んだ肛門からはとめどなく白いものが流れ出て、サスケはしばらくシャワーから上がれなかった。しかも、何となく腹の具合が悪い。気持ち悪いし、しくしくと痛む。肛門は言わずもがなだ。裂傷はないようだが、擦られすぎてひりひりする。サクラのくれた軟膏を塗った方がいいだろう。しかしこんなに緩んでしまって大丈夫なのか。歩く度に内側が擦れるのが分かるほどなのだ。まとまらない思考はふわふわと彷徨う。
 ため息も出ない。
 ただひたすらに疲弊して、ようよう風呂場から出たのである。
「サスケ」
 バスタオルの隙間から、声の方向を覗く。つやっつやに充実したナルトの凛々しい顔が見えた。風呂場の鏡でたった今見た自分の顔が思い出される。目もその周囲も鼻の頭も真っ赤、疲労の色が濃く出たクマ、魂が半分抜けかかった窶れた顔。この違いは一体何だろう。
「俺、分かったんだ」
 何が分かったと言うのだ。相槌を打つのも億劫で、次の言葉を待つ。
「俺、お前のこと好きなんだ!」
 何が好きだと言うのだろう。
 サスケは疲れきった顔でただナルトを見返した。
「昔からお前のことばっかり気になってた。それって『好き』ってことだったんだ! じゃなきゃ、酔った勢いでもあんなこと出来る訳ねえし……ましてシラフで出来ることでもねえし」
 何を言われているのか、いまいち理解が及ばない。
「初めての晩のこと、覚えてねえの……すっげえ悔しいってばよ。でも、しょうがねえし、俺はゆうべのが初めてだってことにする」
 ああそうだ、そういえば左目の青タンが綺麗さっぱり治っている。ぼんやり見つめていると、いつの間にかナルトが目の前に立っていた。
「えっと……まずは、ゴメン。前の時も、ゆうべも、スゲー無茶なことした。謝る」
 ぺこりと頭が下がって、サスケは思わずその金色を目で追った。きっかり十秒でがばりと上がる。ああ、その顔は、やたらと男前なのだ。
「俺、お前にホーフク受ける覚悟は出来てるってばよ。前にも言ったけど、俺のしたことやり返したっていいし、火遁でも千鳥でも……あ、こないだのは麒麟っていうんだっけ? ソレでも、蹴りでも拳でも受ける。イシャリョーとかでもいい」
 男前、だけれども。
 今、サスケは疲れ果てている。正直立っているのもやっとで、でもたぶん椅子に座るのはちょっと怖い。つまりベッドで横になりたいのだ。真摯な言葉も今のサスケにはつるりと上滑りして、部屋の片隅にはらはらと落ちるのが関の山だ。
「その上で、さ。俺がお前を好きだってこと、ちょっとは考えてくれってばよ。俺、お前と……恋人になりたい」
 何を無茶なことを言っているんだろう。好きなのは俺の方なのに、とサスケは浅い呼吸の下で思う。ああ何だかグラグラする。
「……サスケ?」
 やっとサスケの様子に気付いてくれたらしいナルトが、頭に被ったままのバスタオルをそっとどけた。照れたようにナルトが笑う。
「なんか……結婚式みたいだってば」
 意味が分からない。
 ああバスタオルを花嫁のヴェールに見立てたということか。遅れて気付くけれどサスケは引き攣っただけだった。浴衣で花嫁かよ。結婚は女としろ。お前の嫁なんか、俺ではとても務まりそうにない。『一夜の過ち』は本当に過ちだったと思い知った。男同士なんていいものじゃない。もうボロボロでフラフラだ。満身創痍だ。ていうかキスだの何だのという、いわゆる前戯は一切なかった。そんなところも痛い思い出だ。
「サスケ……」
 ああ何だ。何だかナルトの顔が近く見える。精悍な顔がほんのり染まって見える。まつげの色まで良く見える距離。
 何なんだ。
 何をしているんだ。
 吐息が口元にかかるほどの距離──を、

 ピンポーン、という間抜けな音が遮った。

 二人の顔が玄関へ向けられる。はああ、と肩を落とすナルトがダイニングキッチンを横切って「どちら様ー?」と間延びした声を上げた。
「ああ、何だいお前もいたのかい! 丁度いい、開けな! あたしだよ」
「何だよ、バアちゃんか」
「バアちゃん言うな!!」
 渋々ナルトが扉を開けると、そこにはシズネと何故かキバを従えた綱手が満面の笑みで立っていた。
「あれ……キバ?」
「よっ!」
「上がらせて貰うよ、サスケ」
 一人暮らしの1DKアパートに、五代目火影とその付き人とそのペットの子豚、同期の男とその相棒の超大型犬が次々に上がり込む。もうそれだけでダイニングキッチンはギュウギュウだ。
 綱手は二脚しかない椅子の片方に遠慮することなくふんぞり返る。その両脇にシズネとキバが立って、まるで火影の執務室だ。綱手はにこやかに──正確に言えばニマニマと、ナルトとサスケを見比べた。
「いやあ、一週間かかったよ!」
「何がだってばよ」
「調べものがさ!」
 フフンと得意げに笑う綱手だが、アハハと困った顔をしたシズネが一週間かかって調べたのだろうと見当はつく。
「だから、何の調べものだって?」
「火の国と木ノ葉隠れの里、両方の法律をね」
「法律ぅ?」
「ホラ、木ノ葉は忍の里としては独立してるけど、土地は火の国な訳だからねえ」
 うんうん、とキバが訳知り顔でそれらしく頷く。
 何なのだ。ナルトとサスケはテーブルを挟んで突っ立ったまま、ぽかんと綱手を見下ろした。きり、と顔を引き締めた彼女がテーブルに肘をついて身を乗り出す。けれど口端は隠しようもなく上がっているのだ。
「ナルト!」
「は、はいッ」
「お前、サスケに『責任取る』って言ったそうだね?」
「お? おう……」
 サスケはフラフラの状態のまま、自宅で繰り広げられる演劇のような光景を眺めた。
「普通、お前がしでかしたようなことの『責任』って言ったら結婚だ。何たって相手を傷モノにしちまったってことなんだからね。ナルト、お前その覚悟があって言ったことなのかい?」
「……もちろんだってばよ」
「男に二言はないな?」
「ねえ!」
 きっぱりと言い切ったナルトは、やはり男前だった。けれど今は、本当にそれどころではないサスケだ。グラグラする。早く帰ってほしい。ほとんど思考能力を失って、ただやっと立っているのを、誰も気にかけてくれはしない。
「よく言った!」
 ばん、とテーブルを叩いた綱手は「シズネ!」と一声指示を出す。シズネがニコニコと懐から取り出したのは、一枚の紙、だった。反対側からキバが心得たようにペンを差し出し、テーブルに広げられたその紙の上に置く。
「……ばあちゃん、これ……」
 てっぺんに書かれた文字を、ナルトの口が読み上げるのをサスケは横から眺めていた。

 こんいんとどけ。

 目をぱちくりさせているナルトに、綱手は悩ましげにため息をつくのだ。
「なかったんだよ、結局ね」
「え、何が?」
「同性の婚姻を認めない、ていう法律がさ。まあ、大体男女を前提に書かれてはいるけどね、『同性は結婚できません』なんて法律、どこにもなかったんだ」
「……」
 ぱかんと口を開けたまま婚姻届を凝視するナルトを、綱手はけしかけた。
「二言はないんだろ? 名前書きな!」
「あ……うん」
 分かっているのか、ナルトは促されるままその紙に署名する。いつの間にか側へ来ていたキバが、サスケに「良かったな!」と耳打ちした。
 何が「良かったな」なのか理解できない。
 振り向くナルトが戸惑い気味にサスケを見つめる。キバにペンを持たされたサスケは、よろよろとテーブルを覗き込み、訳の分からない紙を憔悴した目で眺めた。
「分かるか? ここに名前書くんだぜ」
 キバに指さされた欄をじっと見る。
 妻になる者の名前、という欄だ。
 よく分からない。
 分からなかったけれど、サスケは力の入らない手で『うちはサスケ』と署名した。だって、書かないと、こいつらは帰らない。
「サスケ……!」
 感極まったようなナルトの声が耳元で聞こえて、気付いたらきつく抱き締められていた。体はあちこち痛かったけれど、ようやく支えを得てサスケは力が抜けた。ナルトは慌てて、抜け殻か何かのようになってしまったサスケを抱き止める。押し掛けてきた三人が「良かった良かった」だの「いやこれからが本当の試練だよ」だのと騒ぎ立てるのが耳に届く。じわ、と思わず涙が滲んだ。体力も心も、何もかも削り取られているサスケにはとんだ追い打ちだ。
 婚姻届って何だ。
 結婚ってことか。
 結婚なんかしたら、この底知れぬ体力のナルトと、ゆうべのような『夫婦の営み』が待っているではないか。持たない、絶対に。自分の死刑執行書類にサインしたようなものなのだ。ナルトに身を委ねるサスケの涙をいいように誤解する周囲を、しかし責めることなど出来ない。
 そう、何しろ。
 これがいわゆる──『自業自得』というものだから。

 ああ、もう、どうでもいい。
 どうでもいいから、寝かせてくれ。
 遠くなる意識で、せめて汚れたシーツを外してくれますように、とサスケは祈った。