凝り性兄さんを責めないで

「兄貴!!」
 帰宅するなり、待ち構えていた弟が鋭い声で喚きたてた。ただいまを言う暇もない。
「何なんだよ、これは!」
「ただいま、サスケ」
「おかえり!! それで、何なんだよ!!」
 形ばかりとはこのことだ。だがイタチは顔色ひとつ変えずに、サスケが突き出したものを見つめた。
「俺の記憶に間違いなければ、それは弁当箱だな」
「ふざけんな、中身が何なんだって訊いてんだ!!」
 中身なんて知れている。昼食だ。サスケが何を怒っているのか、イタチには見当も付かない──訳はない。だがイタチはゆるりと息を吐いて、弟を見下ろした。
「食べられないものを入れたつもりはないが」
「食えるかあァ!!!」
 恐らくは態度が気に入らないのだろう。まさに火に油を注いでいる自覚が、当然イタチにはあった。

  凝り性兄さんを責めないで

 ばん、とテーブルに空の弁当箱を叩きつけ、サスケは憤懣遣る方なしという目でイタチを睨み上げる。その顔は怒りに紅潮していて、そんなところも可愛い我が弟よとイタチは無表情にも見つめ返す。
「俺が! どんだけ恥かいたと思ってんだよ!」
「恥?」
 この弟は中学三年生、いわゆる『思春期』真っ盛りである。当然『反抗期』も含まれて良い訳だが、サスケは至って手のかからない良い子だった。それはそれでつまらないイタチである。自分の思春期を棚に上げて、もう少し突っかかってきても受け止めるのにと思っていた今日この頃だったのだ。
 その、サスケが。
 とうとう反抗期に目覚めたようだ。イタチは嬉しいやら感慨深いやら、しかしサスケが何に怒っているのかを考えて首を傾げる。
 弁当箱は空だ。つまりサスケは、食べるには食べたということだろうか。あるいはクラスメイトに押しつけた? 食えるか、と怒ったということは、その可能性の方が高い。食べ物を捨てるということはまずないだろう。
「誰に食べて貰ったんだ?」
「……ナルト」
「お前は何を食べたんだ」
「ナルトの買ったパン」
 頭から湯気でも出そうなほど怒っているサスケが、ナルトという名前を口にしたとたんに別の意味で顔を赤くする。そう、この弟はナルトという子が好きなのだ。懸命に隠しているようだったが、兄にはお見通しである。
「ということは、お前はナルト君に恥をかかされた訳ではないんだな?」
「……まあな」
「じゃあいいじゃないか」
「よくねえよ!」
 よくないと言いつつ、満更でもなさそうな顔だ。イタチはそれを微笑ましく見つめた。変なところで不器用なサスケは、ナルトともケンカばかりしている。もちろん『ケンカするほど仲が良い』の典型だが、サスケ本人はすぐケンカになってしまうことに隠れて落ち込んでいたりするのだから、可愛くて仕方がないイタチだ。
「とにかく! こんな弁当持ってくぐらいなら買い弁の方がマシなんだよ!」
「こんなとは失礼だな、サスケ。だいたい、ナルト君は食べてくれたんだろう? 彼も何か変だと言っていたか?」
「言ってねえけど!」
「分かった。なら明日はナルト君の分も作ってあげよう」
「何でそうなるんだ!?」
 愕然とサスケが叫び声を上げた。
 イタチは楽しくて仕方がない。
「二人で食べれば恥ずかしくないだろう?」
 皆様そろそろお気付きかも知れないが、イタチの作った弁当は──。

 いわゆる『キャラ弁』だった。

 同僚の女の子のキャラ弁を見て、なかなか楽しそうだと思って挑戦してみた。初めてにしては上手く出来たと自負しているイタチである。
 ほんの数年前まではクマだのウサギだのという可愛いものを抵抗なく愛でていた弟に、ここまで拒絶されるとは思わなかった。が、それでナルトとの距離が縮まるのであれば結果オーライだ。
「に……二倍だろ……!!」
「二倍?」
 何が? と首を傾げてサスケを覗くと、ブルブルと震わせた拳をテーブルに叩きつけられる。
「恥が!! 二倍になるだけだろうがァ!!!」
 照れか羞恥かはたまた怒りか。ああそんなことは分かっている、それら全部がないまぜになった赤面なのだ。
「すまない、サスケ。手遅れだ」
「あァ!!?」
 イタチは全くすまなさそうには見えないアルカイックスマイルで、携帯の画面をサスケに見せる。『送信完了』の文字が消えるのを見て「まさか」と呟くサスケに、送信メールを開いてやる。
 宛先はもちろんうずまきナルト、件名『明日は』本文『お弁当、君の分も作ってサスケに持たせるよ』である。サスケが喚き散らしている間に、女子高生も顔負けの親指ブラインドタッチで送信していた。まるでトマトのように真っ赤になっているサスケの顔は、そうして見ていればよちよち歩きの頃とほとんど変わらず愛らしい。
「と、と、取り消せ……!」
 何故か弱々しく震えるサスケの声と同時に、ぴろりん♪と脳天気な着信音が発生する。サスケの目の前で展開されるメールの差出人は当然ナルト、件名『Re: 明日は』本文『やったー! 今日の弁当チョーうまかったってばよ! ありがとー』だった。
「……何で……」
「うん?」
 サスケは焦点の定まらない目を潤ませる。
「何であいつのケータイ知ってんだよ……!」
「この前会った時に教えてくれたよ」
「……」
 サスケは「ケータイなんかいらねーよ」派だ。けれど自分を差し置いて、兄がナルトと携帯で連絡を取り合うのは面白くないらしい。
「お前も携帯買うか?」
「いらねえし!!」
 ああ難しい年頃だ。
 イタチは満面の笑みで、自室に引っ込むサスケの後ろ姿を見送った。

*     *     *


「ねえねえサスケ君、今日のお昼、一緒に食べない?」
「断る」
 朝から何人の女子にそう声をかけられただろう。サスケは頭から湯気を立ち昇らせながらも、辛うじて怒鳴ったりしないで断り続けていた。サスケが怒りっぽいのは今に始まったことではないので、不機嫌の骨頂という顔をしていても怯む女子はいない。これぐらいで怯む女子は、まあそもそも声をかけてきたりはしないものだ。
 サスケ君冷たーい、とはしゃぐように去ってゆく女子は、確実に昨日の一件でサスケの弁当に興味津々なのだ。
 そのキャラ弁は、ミ●フィーだった。どの程度伏せ字にしたら良いのか悩むところだが、その完成度は実際非常に高かった。誰が見てもミッ●ィーなのである。ご飯を型抜きしたそのシルエット、目は楕円の美しいささげ、バッテンのお口は切り口も鮮やかな焼き海苔。赤いワンピースは丁寧に形作られたトマトのジュレ、どうやってか隣接するご飯には色が移っていない。その周囲を埋め尽くすのはミートボールであり、ブロッコリーであり、カリフラワーである。どうやら背景のようだった。木の幹に見立てたポークビッツが覗く。賽の目のニンジンやグリーンピースやコーンがまぶされ、それはさしずめ果実だろうか。半分立体的に構築されたその弁当に、男子は確かに多少引いたり、からかったりはした。けれど女子は、その芸術的な出来に惜しみない賞賛を送ったのだった。
 それを、サスケは恥と思っている。
 更に、ナルトだ。
 ナルトまで目を輝かせて、ふざけたキャラ弁をまじまじと見つめた。すげえスゲエとあんまり凝視するものだから、交換してやると言って無理矢理押しつけた。
 内心ドキドキだった。
 ドキドキ、どころではない。心臓が口から飛び出しそうなほどだった。ナルトはいつも買い弁で、手作りの弁当を避ける理由がないのなら問題もないはずだ。そう思ってのことだったが、えっいいの!? とまるでヒマワリでも咲くみたいに素晴らしい笑顔で交換してくれた。恥で紅潮した顔でそんな笑顔を見返しては、おかしな誤解を受けかねない。いや別に誤解でも何でもないのだが、男が男を好きだなんて世間体が悪い。サスケはナルトを好きだという自覚こそ持っていたけれど、だからナルトとどうなりたいという希望はなかった。ただ一緒にいられれば、それで良かったのだ。
 それは淡い恋心で、端からは腐れ縁の仲良しだと思われている…と思いたい。けれど、『好き』を押し隠すあまりついケンカ腰になってしまう。そんなのは本意じゃない。
 だから今日、イタチから預かった弁当を渡す時ぐらいは普通の態度を保ちたい。
「……ナルト」
 昼休み、ほら、と弁当の巾着をぶっきらぼうに押しつける。いつものように購買へ向かわないナルトは朝からそわそわしていて、サスケの差し出す弁当を見るや全開の笑顔となった。
「わあ、なに? 愛妻弁当? やるねえサスケ」
「……何言ってんだ」
 渡す現場を見ていた担任が茶化してくるのを、ひと睨みだけでやりすごせたのは奇跡的だ。
 なのに、やりすごしたあとで顔が火照ってきた。
(……愛妻弁当って)
 作ったのはイタチだし、渡せと言ったのもイタチだ。だが頭を過ったのは、過去何度も自分に手作り弁当を渡そうとする女子の姿だったのだ。
(べ、別に俺は!)
 思い起こす記憶の中で、弁当を差し出す女子が自分に、それを見下ろす自分がナルトに置き換わる。そしてそれは、たった今見た全開の笑顔となってサスケの恋心を攫うのだ!
(俺は兄貴に頼まれたから、仕方なくッ!)
 自分にそんな言い訳をして、しかしそのせいで徐々にサスケは萎れてしまった。
 そう、作ったのはイタチだ。昨日のミッフ●ーへの賞賛は、そのままイタチへの賞賛なのだ。ナルトのこの笑顔はイタチに向けられるべきものだった。
「サスケ? 食おうぜ」
「……」
 ナルトは他意もなく、不思議そうにサスケを覗き込んでくる。曖昧に頷き、押し黙って包みを開くと、携帯のカメラを構えた女子に包囲された。
「わあ、すごーい!」
「ちょっと、これペア弁当じゃない!?」
「超すごいんですけど!!」
「……」
 何を考えているんだ、あの人は。
 サスケは遠のきかける意識を必死で手繰り寄せる。ナルトはもちろん、目を輝かせながら二つの弁当を見比べている。勝手に位置修正して写メのシャッターを切る女子の声が、サスケの頭蓋骨の中で反響していた。
(ペア弁当……)
「俺これ知ってるってばよ! キ●ラ■だよな!」
 どっちがキキでどっちがララなのかなんて、サスケは知らない。ただひとつハッキリしたこと、それは。
「……二倍、どころの話じゃねえな……」
「え、何が?」
 サスケは静かに首を振った。

*     *     *


 どんなに宥めても、サスケはもう二度とナルトに渡すのはイヤだと頑なに言い張った。
「自分で渡せばいいだろ!」
「なるほど」
 一理ある。
 元々は二人の距離を縮めてやりたいと思ってのことだったけれど、イタチは既にキャラ弁作りにハマっていた。高じて、のちにキャラ弁のカリスマブロガーとなるのは余談である。
 弟が食べてくれないとなれば、有力候補はナルトしかいない。そのナルトに届けて貰えないのであれば、まあ、自分で届ければいいのだ。出勤時間は早いけれど、部活の朝練でナルトも早い。
「あっ! イタチ兄ちゃん! とサスケ!」
「おはよう、ナルト君」
「オハヨー!!」
 もちろん同じ部活のサスケも朝練に出る。徒歩で向かわずイタチの車に同乗するのは、結局はナルトのことが気になるせいだろう。学校の正門に乗り付けて、降りても部室へ向かわず一緒に待っているのは、イタチとナルトを二人っきりにしたくないという現れではないだろうか?
 そわそわしていたサスケが、ナルトの姿を見るなり仏頂面を作る。
「はい、お弁当」
「悪いな、イタチ兄ちゃん。大変じゃねえ?」
 事情はメールで大体説明してあった。ちらりと視線を投げられたサスケが顔を背ける。ナルトは、サスケが何を気に入らなくて何を恥ずかしがっているのか、分かっていないのだ。イタチは苦笑した。
「別に大変じゃないよ。君に食べて貰えるのは嬉しいしね」
「そう? そーかな! 俺さ! 俺さ!」
 ナルトは朝っぱらから特上の笑顔を振りまいた。

「なんてゆうかもう、弁当は一生イタチ兄ちゃんに作ってほしいぐらいだってばよ!」

 あっそれは。
 さすがのイタチも「まずいんじゃないかな」と思う。一生俺のために味噌汁作ってくれとかそんな古典的なプロポーズのような科白。そっとサスケを窺うと、真っ青な顔で愕然とナルトの横顔を凝視していた。
「て、テメエ……ッ、」
 震える声がうわずっている。
 けれどきょとんとナルトに見返されて、走って逃げ出すサスケの口から出たのは結局

「バカァ───!!!」

 だけだった。
(……すまない、サスケ)
「どうしたんだってば、サスケの奴」
「君を俺に取られると思ったんだろう」
「え? ……それって、どっちかってゆうと逆じゃねえの?」
 あいつブラコンだし、と首を傾げるナルトに、イタチは曖昧に微笑みかけた。


「サスケ!」
 追いかける声が聞こえても、サスケは振り向くことが出来ない。けれど同じ部活で朝練に参加するのに、ずっと顔を見ずにいられる訳もないのだ。諦めて、渋々目だけをナルトに向ける。
 受け取った弁当を揺らさないよう慎重に走る様子すら気に入らない。だがナルトはそんなサスケを気にすることなく、追いついた隣を歩くのだ。
「お前なー、バカって何だよ、バカって」
「……バカにバカと言って何が悪い」
「イヤそうじゃなくってさ、あそこでバカって言われる意味が分かんねえっつうの!」
 しかし、言うほど怒っている様子がナルトにはない。
 辿り着いた部室は一番乗りで、二人きりというシチュエーションも今のサスケには拷問だった。さっさとロッカーに荷物を突っ込む。その隣でナルトも準備を始めた。
「なー、サスケ」
「何だよ」
 ぞんざいな返事をものともせずに、ナルトは暢気にも言ったのだ──。
「俺がお前に婿入りしたらさ、兄ちゃんの弁当、毎日食えると思わねえ?」

 サスケは、固まった。

 何だって? 婿入りはともかく何で義兄と同居が前提に、いやともかくじゃねえよ婿入りって何だ。俺がお前に、つまりナルトが俺に? 意味が分からない、俺もお前も男じゃねえか、頭大丈夫かこのバカ、ああそうかこいつはバカだった、男同士じゃ結婚できねえって知らねえのか。イヤ待てこいつの母国のどっかの州では同性婚OKってところもあったっけか。どこまで本気で言ってんだ、こういう場合俺は何て答えるのが正しいんだ? 模範解答があるなら誰か教えてくれ、いや、待て、そもそも──結婚なんて、好きじゃなければ。
「な、サスケ」
 きゅ、と左の耳たぶを引っ張られて、その距離にぎくりとする。
「明日からは、弁当、お前が持ってこいよ。そんで、お揃いのやつ一緒に食お?」
 何で、と訊くのは怖かった。
 なのでサスケはただ頷いた。
 ナルトは笑った。
 ウラオモテのないまぶしい笑顔だ。
「なあ、夏休みの練習さあ、お前全部出る?」
「え、ああ、」
「23日も?」
 23日?
「ああ……」
「ふうん。良かったってばよ!」
 何が良かったなんだ。
 けれどやはり、訊くのは怖くて、サスケは目を泳がせた末に俯いてしまった。

 引っ張られた耳たぶが、あんまり熱くて、くすぐったかった。