トライアングル・ラプソディ

  トライアングル・ラプソディ

「アイツ、ホント下手くそなんだってばよ!」
 不平を訴えるナルトの声には、それでも怒りは含まれていない。サクラは「はいはい」とため息混じりに相槌を打つ。
「いきなり突っ込んだんだぜ、こんなデリケートなとこにさ!」
「デリケートねえ……」
「超痛かったっつーの! 普通ちょっとは様子見ながら、加減してそおっと入れるもんじゃねえ!?」
「文句があるならサスケ君にやらせないで、自分でやれば良かったじゃないの」
「俺だっていつもは自分でやってるってば。でもなんか今回は、取りきれてねえ気がしてさあ」
 半分聞き流しながら、サクラはベッドに深く腰掛けると、膝をポンポンと叩いた。ぶつぶつと文句を言うのは、本当に痛かったのと、期待したようなステディな時間を過ごせなかった不満のせいだとサクラには分かっている。
 何の話か察して頂けただろうか。
 耳かきである。
 ナルトは口を尖らせながらベッドに乗り上げ、サクラの太股に頭を乗せた。サクラはベッド脇に寄せたワゴンからペンライトを取り、ナルトの耳たぶを引っ張りつつ中を覗き込む。
「……うわ」
「や、やっぱ結構残ってる? サクラちゃん……」
「残ってるっていうか……」
 居座っている、或いは根を張っている。そんな表現が適当だろうか、奥に予想以上の大物が見えた。思わずウフフと笑みが漏れる。
「さ、サクラちゃん……?」
 確かに、その大物より外側は綺麗にされている。家庭用の耳かきでは、こんなに奥にあるものは引っ掻き出せないだろう。紙みたいに薄い先端を持つ耳かきとピンセットが必要で、それは一人では危ない。耳鼻科で取って貰うのが正解だ。
 どうでもいいけれど、大きな耳垢がそのまま取れると妙に嬉しいのは何故だろう。急に楽しくなってきた。
「取ったげるから動かないで」
「は……ハイ……」
 左手にペンライトを持ったまま更にピンセットを持ち、中を照らしながら器用に耳を広げる。右手にはまず耳かきを持つと、その大物の端を慎重に引っ掻いた。
「うおッ」
「動かないで」
 剥がれる音が大袈裟に響くのだろう、ナルトは驚いたように小さく声を上げた。サクラはそれを制しながらも手は休めない。縁に沿ってカリカリと、耳かきの先端を小刻みに動かす。
「く、くすぐってえ……」
「我慢よ、我慢」
 見える範囲で端を浮かせる作業を終え、耳かきを細いピンセットに持ち換える。ドキドキしながら、浮かせた縁をピンセットの先でしっかりとつまむ。力を入れすぎるとつまんだところから千切れてしまうので、加減が重要だ。ぺりぺりと剥がしてゆく。
「う、おおぉ!?」
 無理はしない。つまむ場所を変えながら、徐々に耳垢を外してゆく。
 もう大丈夫だろう、というところでゆっくりと引き上げると──。
「……取れたぁ!」
「スゲー音した、ガサガサってー!」
「やだあ、すごい大きいっ!」
 サクラは思わず、つまんだものを目の前に掲げた。中耳に添う形で半円を描いている。面積にして1平方センチ以上はあるだろうか。
「み、見して見して!」
 がば、と頭を上げるナルトに、その大物をトレイに乗せて見せる。おお、と本人からも感嘆の声が上がった。
「あんたね、もしかしたら耳かきの時、掻き出してるつもりで奥へ奥へと押し込んでたんじゃないの?」
「ええ!? そんなことあるかなあ……」
「だって普通じゃないわよ。ほら寝て! 残り滓は綿棒で取ってあげる。あと一応反対側もね。この調子じゃ右も相当たまってるかも……!」
「……お願いシマス……」
 いけない、うっかり声が弾んでしまった。サクラはきりりと顔を引き締めると、綿棒を手に再びナルトの耳を覗き込んだ。
 その時である。
 ばん、と診察室の扉が開いた。
「きゃ、サスケ君……!」
「サスケ!?」
 ナルトは腹筋の力だけでガバリとサクラの太股から起き上がった。無表情にも凍てつくサスケの視線が突き刺さる。無表情なのではない、怒っているのだ。
「浮気かナルト。浮気なのか」
「ば……ッ、ちち違うってばよ!」
「大きいだの奥へ奥へ押し込むだの相当たまってるだのと聞こえたがな」
 よくも上手いこと拾い聞きしたものだ、サクラは困った顔で笑った。彼はサクラが手にしているものをしっかり見た上で、そんなことを言っている。
「だから単なる耳かきだってば!! お前がゆうべやってくれてたら、サクラちゃんに頼むこともなかったんだぜ!!」
「分かってる。冗談だ」
「じょ……ッ、冗談ん~!?」
「大体、俺がもう眠いって言ってるのにやらせるお前が悪い」
「でもさあ~!!」
 冗談で言っているにしては意外にも目はじっとりとしていて、理由は分かってもサスケには全く面白くない状況なのだろうなあ、とサクラは察する。
「今、左耳が終わったところなの。右耳、サスケ君やる?」
「……いや、いい。続けろ」
「あ、そう…?」
 腕組みをして仁王立ちのサスケに見下ろされ、サクラは少々アンニュイだ。ナルトがサスケを好きだということは周知の事実だが、サスケだってナルトが好きなのだ。でなければ一緒に暮らしたりしないだろう。そして、いくら耳かきのためとは言え、女の膝枕で気持ち良さそうにしている姿なんて、見たくないに決まっている。
(うう……やり辛いわ……)
 サスケの悋気には慣れているサクラだが、こう凝視されるのも心臓に悪い。恋愛の相手としては諦めたけれど、サスケを好きなことには変わらないのだ。
「……サクラ」
「はい?」
 逃げるように耳かきに集中していると、不意に声をかけられた。穏やか、とまではいかないが、声に険はない。
「次は俺もやってくれ」
「サスケェ!?」
 浮気かサスケェ浮気なのかあァ!? と喚くナルトの頭をがっちりホールドして、サクラは小さく微笑んだ。

「いいわよ」

 ナルトもサスケも、付き合い始める前と変わらずサクラに接してくれる。
 少しは悔しいけれど、それはやはり、サクラにとっては嬉しいことのひとつなのだった。

  クアドラングル・ラプソディ

「聞いたよ。耳かきの話」
「はあ」
 まなざしに微笑みを乗せて、カカシは猫背気味にサクラを覗き込んだ。
 世間話ぐらい、カカシとだってするサクラである。カカシにそんな他愛のない話題を振られることに不審はない。それに、話を振ってきたカカシには「耳かき」を揶揄するような様子はないし、寧ろ慈愛に満ちていると言ってもいいほどだ。
 けれどサクラが一歩引いたような「はあ」という曖昧な声しか返せなかったのは、話しかけられたのが病院の診察室であり、今まさに患者さんの診察中だからだ。
 何なのかしら、と窓枠に鳥のように澄まして座る上忍を見上げる。耳かきの話は緊急の話題とはとても思えない。
「ずるいじゃない、ナルトとサスケにはしてやって、俺は仲間外れ?」
「……先生」
 あの耳かきは、かつての七班をわざわざ招集して行った訳ではない。ナルトに頼まれ、そこへサスケが乗り込んできただけの話だ。もちろんその場にカカシが来たのなら、サクラも拒んだりはしなかっただろう。ヤマトやサイに頼まれても、してあげただろうなと思う。
「今は診察中ですから。そういう話はあとにしてくれませんか」
「ええ、冷たいよサクラ! その人の診察もう終わるでショ!? ちゃんと見計らって来てるのに!」
「見計らうならきっちり計って下さいよ! あと、窓からじゃなくて、ちゃんとドアから入って来て下さい!」
「あ、ゴメンね? 待てなくってさあ」
 患者はと言えば、苦笑いしてそそくさと立ち上がってしまった。ごめんなさい、と一緒になって立ち上がれば、気まずそうに「いえ大したことありませんから」と逃げるように出て行ってしまう。何なのだ。
「あの『患者』さんね、本当に大したことないと思うよ」
「何で先生がそんなこと分かるんですか」
「……お前はもう少し警戒心を持った方がいいんじゃない?」
「はあ……」
 カカシの言う意味がようやく理解できた。つまり、今の患者はサクラ狙いで通院していると言いたいのだろう。サクラは少々呆れた。別に、狙われようが付きまとわれようが、いざとなれば撃退する自信がサクラにはある。
 音もなく診察室に侵入したカカシは、ニコニコとサクラの背後の診察用ベッドに腰掛けた。
「ね、サクラ。俺も頼むよ」
「いーですけどォ……」
 いまいち釈然としないサクラは、口を尖らせながらもカカシの隣に座った。小さなワゴンを引き寄せる。
「あー、耳かきして貰うなんて、何十年ぶりかなあ」
「わざと年寄り発言するのやめて貰えません? 先生……」
 言うほど年寄りじゃないんだから。ペンライトとピンセットを構えると、カカシはいそいそとサクラの膝に頭を乗せた──。

 その時である。

 ばん、と診察室のドアが開き、ナルトとサスケが揃って飛び込んで来た。
「浮気かサクラぁ!」
「騙されちゃダメだってばよォ!」
 サクラはぽかんと口を開けた。
 何が浮気なのだ。サスケはナルトと付き合っていて、サクラがナルトの耳かきをするのをものすごい形相で見張っていたくせに。ナルトもだ。何が騙されていると言うのだろう。
「生徒の前で堂々とイチャパラ読むよーなエロ教師に膝を提供してどうする」
「そーだってばよ、先生に股触られたら妊娠するって!!!」
 ぶふっ、と思わず吹き出す。腿の上のカカシは不服そうに「エエ~」と呻いているけれど、そこから退く気配は微塵もない。
「大丈夫よ、二人とも」
「そーそー。もしサクラが妊娠したらちゃんと責任取るから」
 カカシの軽口に、ナルトとサスケが目を剥く。
 サクラはとうとう声を上げて笑った。
「サクラちゃん!」
「笑いごとじゃねえだろ!」
「大丈夫よ、二人とも」
 同じセリフを、サクラは言った。ただし、

「私の握力、知ってるでしょ?」

 と付け加えて。
 診察室の温度がキュッと下がったのは、言うまでもない。もちろん、カカシはナルトとサスケが見張っていなくとも、余計な動きは一切しなかったという。