あまおと

 暗闇の中、ふと目が覚めた。
 寒い。
 薄い布団を引っ張り上げ、顔が半分隠れるほどに潜り込む。目を閉じたまま、落ち着く格好を探って右半身を下にし、軽く膝を曲げる。そしてため息のような深呼吸をひとつ。
 目が覚めたのは寒さのせいではなかった。
 雨だ。
 雨の音が聞こえて、意識が浮上した。
 梅雨にはまだ早い時期だが、ざあざあという雨粒の土を叩く音が、サスケを起こしたのだ。風は強くはなく、台風の時のように雨戸を激しく打つ騒音ではない。単純に大降りの雨が、木々の葉を草花を土を屋根を、間断なく打ち続けている。サスケはとうとうすっぽりと布団に潜り込んだ。
 雨は嫌いだ。
 足音を隠す代わりに足音のように聞こえる。
 雨は嫌いだ。
 その音はまるで檻、世界からサスケ一人を隔絶する。
(どうせ、一人なのに)
 どうせ、晴れても、一人なのに。追い打ちをかけるような雨が嫌いだった。下忍となって、毎日ナルトやサクラやカカシと顔を合わせていたって、どうせお前は一人なのだと念を押されているかのようだった。七班の一員として彼らを仲間と思っても、成すべきことを成さない限り、お前は一人なのだ、と。
(忘れちゃいない)
 そして、成すべきことを成した時、もしかしたら本当の本当に独りになるのかも知れないのだとも、サスケは理解していた。
 怒りを持続させることは難しい。
 悲しみすらも多少は薄れる。
 日々生活する中で、あの悲劇だけをあの時の濃度で見つめ続けるのは不可能で、忘れた訳ではないのに後悔が押し寄せるのは、決まって一人の夜だ。
 雨の音はサスケを責める。
(雨は、嫌いだ)
 嫌いだ。
「……サスケ」

 暗闇の中、ふと目が覚めた。
 寒い。
「サスケ」
 声にはもちろん、聞き覚えがあった。
「……ナルト」
「恐ぇ夢でも見てた?」
「……」
 夢? サスケはそろそろと息を吸い込んで止めた。闇に慣れた目が、向かい側のベッドに身を起こすナルトの姿を捉える。悪いものを吐き出すように、詰めていた息を吐いた。
「うなされてたみてえだったってばよ」
「……分かんねえ。忘れた」
「そっち、行っていい?」
 んん、と曖昧な声を返す。当然のようにナルトは了承と受け取って、枕を持ってサスケのベッドへ潜り込んだ。
 図体ばかりは一人前に大きくなったナルトだが、その体温は子供のように高い。いや、サスケは子供の時でもそんなに高くはなかったから、いわゆる個人差というものだ。まだ肌寒い夜に、サスケは抵抗なくその体温にすり寄った。温かな腕がサスケを抱き止める。
「……さっきさ、『嫌いだ』って言ってた」
「……俺が?」
「ん。どんな夢見てたんだよ」
「忘れたっつったろ」
「そっか」
 温かい。
 寝間着越しの体温と、確かな心音。
 ふと、遠く雨の音が聞こえた。雨が降っていたのだ。気付かなかった。
「なあ、俺のこと……?」
 唇の触れ合う距離で、ナルトが呟く。
「何が」
「や、嫌いって」
「だから覚えてねえって……」
「ん、夢のことじゃなくってもさ。別に、何が嫌いでもいいけどさ、」
 温度と湿度をサスケに与え続ける唇は、ついと顎を上げれば簡単に封じられた。ついでに触れ合った顎が微かにざらりとした感触を伝えてくる。手を伸ばして、僅かに伸び始めた髭に触れる。本当に、体ばかりは一人前の男になった。
「……ウン」
 何も言っていないのに、ナルトはそう答えた。
 夢の内容を覚えていないのは本当だ。だが、うなされていたのなら悪夢だったのだろう。悪夢のレパートリーには事欠かない。
 重要なのは、悪夢だろうが何だろうが夢を見た、つまり眠っていたということなのだ。こんなに近くに誰かがいて、眠れるということが重要なのだ。そしてサスケが悪夢にうなされるのに気付いて、声をかけてくれるということなのだ。
 ナルトの温かな唇が、サスケの冷えた唇を温める。
 ナルトの熱い掌が、サスケの冷たい耳を覆う。
 サスケは「寒い」とは言っていない。だが寒がっていることに、ナルトは気付いていた。或いはそんな意識すらなく、サスケを温めているのかも知れない。人間の体温を、ナルトの体温を受け入れることが出来るようになったサスケもまた、あの頃のような子供ではなくなった。
「オヤスミ」
「……ああ、」
 お休み、と。
 言えたかどうか定かではない。意識は既に、心地良い揺りかごの中でまどろんでいる。

 明け方までの数時間、雨の檻の中の、解放された腕の中。
 サスケはもはや、独りではなかった。

  あまおと