威風堂々

 そこは、駅にほど近いショッピングモールの中にある、ランジェリーショップだった。スタッフは全員女性で、販売するのも女性ものの下着。そして当然、自動ドアを入ってゆくのも女性ばかりだ。男性が入ることがあるとすれば、ほぼ100%女性に連れられて、である。
 そのランジェリーショップは、モールに並ぶほかの店舗より小さめではあるものの、客足が途切れることは滅多にない。通りをゆく人々にアピールするショウウィンドウには、新作のブラ&ショーツを着けたマネキンがポーズを取っている。
 その、マネキンを───。
 無表情にも、凝視する少年がいた。
 

  威風堂々

 
「ねね、外、見て」
 メイリンは同僚のバイトの女性に囁かれ、大きなメガネをくいと押し上げた。
「…ほわあぁ、カッコいい男の子ですだ~!」
「ばか、違うでしょ」
 確かに見目麗しい男子ではある。黒く艶やかな長めの前髪、すらりとした長身はきりりと姿勢が良い。着ているのはこの近くにある高校の制服で、鞄を提げて、これから帰るところだろうか。
 だが見どころはそこではなかった。
 少年は、その店のショウウィンドウに立つマネキンを凝視していたのだ。いや、マネキンではない。正確には、マネキンの着けている下着を、だ。
 そう───ここは、女性用下着専門店。
「あやぁ…何とも残念な美男子ですだ…」
「ほんとにねえ…」
 だが少年の涼やかなまなざしには、思春期特有の、性に対する情熱のようなものは感じられない。
 もしかして、マネキンや下着に何かおかしいところでも見つけたのだろうか?
「ちょっと、メイリン?」
 メイリンは急に不安になって、とたとたと外へ出た。
「あのォ…」
 出てきた店員に声をかけられる事にも全く動じる様子のない少年に、メイリンはおずおずと尋ねる。
「こちらの商品に、何かございますだか…?」
「…ええ、少々」
 少年は、顔色ひとつ変えずにメイリンを見返した。
(ひゃああぁぁぁ! この人ハンパなくカッコイイですだああぁぁ!!)
 ぼんっ、と顔から火を噴きそうな赤面を披露したメイリンだったが、少年の方は全く意に介さない。寧ろ僅かに首を傾げて見つめるのみだが、無表情であることには変化がないのだ。
「宜しければ、拝見したいのですが」
「ほえ? は、も、勿論ですだ! ささ、どおぞ!」
 まるで商談でも始めそうな雰囲気の少年に見とれたまま、メイリンは躊躇なく店内へ招き入れた。
 店内には、勿論女性客と店員がいる。
 実にその全員の視線を一身に浴びて尚、少年は揺るがなかった。店内をさらりと一瞥し、メイリンの案内でショウウィンドウの裏手に入る。
「こ、こちらの商品が、見本で出ているのと同じものでございますだ…」
「拝見します」
 少年は、黒地にオレンジ系の果物柄のレースをあしらった下着を検分し始めた。
 ブラジャーは、四分の三カップ仕様でサイドは広め、後ホックは二段かけが三列のオーソドックスなタイプだ。胸をVの字に縁取るように、幅広のレースが付いている。肩紐はそのレースの細いもので、重ねて丈夫にしてあった。
 ショーツは、形としてはプレーンだったが、サイドストリングが三本の細いリボンで構成されている。レースはフロントに使われているだけで、後ろから見るとシンプルな黒いショーツにしか見えない。
 ひとしきり検分して、少年は悩ましくも細くため息をついた。勿論、店内の全員がそれを目撃していた。
「あ、あの、あの…何か問題が…」
「はい。あ、いえ、これは恐らく私の問題でしょう…」
「はあ…?」
 メイリンは要領を得ずに首を傾げた。
 少年はショーツを目の前に掲げ、眉間を寄せる。
「これは、いただけません」
「はあ」
 差し上げるとは言っていないので、いただけないというのは「良くない」という意味だろう。
「こちらは、肩紐もオレンジ色のレースで出来ていてバックスタイルも悪くありません。髪の長い女性が多いことを考えても、これ以上の装飾は無意味でしょう。隠れてしまってはもったいないですから。問題はこちらで…」
 恭しくつまんだショーツを、メイリンに突きつける。
「フロントとサイドは申し分ありません。ただ、この、バックが…」
 何もない。
 はあ、と少年は再び嘆息した。
「ここまで凝っていながら、バックは何もない。後ろから眺めた時に、全体のデザインイメージが全く伝わってこないのです」
「そ…そうですだか…」
「更に言わせて頂ければ、レースの柄が花ではなく果物なのは何故でしょう! 黒地に合わせるレースの柄としてはミスマッチに思えてなりません」
「は、はあ…」
「もっと言わせて頂ければ、いえ、これは疑問なのですが。このように攻撃的なカラーの下着を、女性はどのような時に着けるというのでしょうか…! 意中の男性とのデートで? 少なくとも私は、女性が脱いでこのような下着が現れたら確実に引きます」
 攻撃的、というのは黒とオレンジの組み合わせの事だろうか。一般的に、黒と黄のコンビは危険色だ。
 メイリンは殆ど感心して、少年の演説(?)を頷きながら聞いていた。
 なるほど、この下着に問題がある訳ではなさそうだ。問題なのは本人の言う通り、この少年の主観なのだ。だが、メイリンも伊達にランジェリーショップの店員をしてはいない。
「あのォ…お客様の仰りたいことは分かりましただ。つまり、趣味の問題ですだかね」
「はい。これは私の趣味には合いません」
 少年はきっぱりと「趣味」と言い切った。いっそ清々しいほどだ。
「ですが…こうは考えられませんだか? ショーツのバックスタイルだけ見ればシンプルすぎるデザインが、こう、女性が振り向いた時にレースが現れる嬉しいサプライズ感と言いますだか、その…ギャップみたいなものを狙ったとか」
 決して上手くはないメイリンの解説に、少年は片方の眉を器用に上げた。
「それと、レースの模様ですけども、確かに果物よりはバラとかの方が華やかで、黒地にはピッタリ来ますだ。でもですだね、それではあまりに隙がない気が…私にはしますだよ。女の子は、いつまでたっても女の子ですだ。可愛い部分もある方が、嬉しいものですだ…」
「…なるほど」
 見せる見せないはともかく、着る本人が気に入らなければ意味がないことも事実だ。少年は素直に頷いた。
「あ、や、でもっお付き合いする男性に気に入って貰える方がより良いのもホントですだ!」
 メイリンは否定しすぎたかと慌ててフォローする。だが少年は、特に気分を害した様子は見せなかった。
 少年は、ほんの少し笑った。
(ほ…ほわああぁぁ!!!)
 湯気が出るほど赤面して、メイリンはその下着を握り締めたまま、ほぼ180°で頭を下げた。
「す、す・済みませんですだお客様ー! 最初から趣味の問題だとお伺いしてただに、私、ワタシ…とんだ失礼を言いましただ!」
 大声で少年の趣味が女性用下着だと暴露する方がよほど失礼なのではないか、と店内の女性たちは思う。
 だが、少年は感心した様子でメイリンの頭を上げさせるのだ。
「いいえ、とても勉強になりました」
 ぎゅうぎゅうと握り締める手を解いて、さりげなく黒い下着を救出する。
「確かに…仰る通り、解釈は様々ですね」
「は…はひ…」
 潰れたブラジャーのカップを整えつつ、少年は店内を見渡した。
 色とりどりの下着。ブラ&ショーツだけではなく、キャミソール、スリップ、ベビードール、ストッキングやガーターベルトなど様々なランジェリーが並んでいる。
「私は、女性の下着は白が一番だと思っているのですが───」
 少年はメイリンに向き直った。
「毎日着けるものですし、男性はともかく、女性は白ばかりでは飽きてしまうということでしょうか」
「は、ええ、まあ…そうゆうことも、ありますだ…」
 手渡された黒い下着をそそくさとハンガーに戻しながらも、メイリンは手の震えが一向に止まらない。
 少年は実に爽やかに、そして実に自然にこの店内に存在していた。
「もう少し、他のものも拝見して宜しいでしょうか? 今のところ、購入の予定はないのですが」
「は・はいですだ! ご存分に目の保養をなさって下さいませ!!」
 目の保養…。
 また余計な事を言って、と他のスタッフたちはこめかみに指先を当てた。
 そうして、少年はあくまでも健全に、一時間ほど店内の下着を物色して帰っていった。その時店内にいたスタッフと女性客が、下着よりも少年の動向をガン見していたことは、余談である。

 その日以来、頻繁に店を訪れるようになった少年が、なかなか下着の趣味の合う女の子がいないとか、そもそも下着の話にまで発展する女の子が少ないとか、スタッフの間で有名になるのに時間はかからなかった。
 その少年の名は、セバスチャン。
 セバスチャンは下着を物色するだけで、本人の言う通り買うことはなかった。察するに、自宅に飾って眺めたり自分で身に着けたりする趣味ではないのだろう。
 彼の好みは白だったが、次第に様々なカラーの下着に興味を持つようになり、白以外を否定することがなくなった。あれこれと興味は移ってゆくのだが、しかし最近のお好みは再び白、らしかった。
 セバスチャン曰く、原点回帰とか。
 そのかわり、デザインには更にうるさくなった。このレースは粗雑だの、ケミカルレースは邪道だの、ディアマンテは却って安っぽく見えるだの。気に入らないものへの酷評は相当だったが、気に入ったデザインの下着には賞賛を惜しまなかったので、彼がその場で褒めちぎった下着はそれを見ていた女性客に飛ぶように売れた。付いたあだ名は「下着ホスト」だった。
 だが、きっかり二年の歳月を経て、セバスチャンに変化が訪れた。それはメイリンを含む女性スタッフ及びその場に居合わせた女性客全員の、顎が外れる衝撃的な事件だった。
 

*     *     *

 
「これを下さい」
 いつものように下着を入念に物色していた少年は、常とは違って、気に入ったものを手に歩いていた。段違いでシアーを重ねた白いベビードール、ペールブルーのコードレースをあしらったAA65の白いブラジャー、その対のショーツ。
 レジでそれらを差し出されたスタッフは、ぽかんと口を開けてセバスチャンを凝視した。
「あ…あ…あのォ…、もしかして、お買い上げですだか…?」
 今日も今日とてチラチラとセバスチャンを気にしていたメイリンが、おずおずと横から尋ねる。すると、それはそれは、見たこともないような晴れやかな笑顔が返ってくるのだ───。
「と、と、いうことは…セバスチャンさん、とうとう彼女ができたんですだか!?」
「はい」
 きゃああぁぁ(一部「ぎゃああぁぁ」も混じる)というスタッフたちの悲鳴が、店内にこだました。
 この少年の性格上、それが嘘で、我慢できなくなって買ってしまうのでないことは、彼女らにはよく分かる。セバスチャンが「彼女が出来た」と言うのなら、それは本当なのだ。
「やだあぁおめでとうセバス君!」
「セバスチャン君やるじゃん!」
「おおぉ…おめでとうございますだあぁぁ…!」
「ちょっと今度連れて来なさいよー!!」
 スタッフたちは興味津々だ。
 何しろ、このセバスチャンに付き合える女の子なのだ。どんな子なのか、いつまで持つのかを含めて気になるのも仕方がない。メイリンだけがあからさまに肩を落とすのだが、気の毒なことに、それを気にかける者は誰もなかった。

 セバスチャンが赤毛の少女を連れて店にやってくるのは、その凡そ一週間後。
 ランジェリーショップの女性スタッフと自分の彼氏が馴染みであることに遠い目をした少女は、だが、諦めたように微妙に笑って自分の趣味を主張し始めるのだった。セバスチャンが、グレルというその少女と結婚するつもりなのだということをスタッフたちが知るのは、もっとずっと後のことである。

 威風堂々、ランジェリーショップに通う少年の、ちょっとしたお話。