指先の悪魔:前編

 

  Give me what I want and I'll go away.

 
 シャニ・アンドラスという名の人間。
 ガンダムのパイロットに選ばれた───ただそれだけの関係だった。人選には個々の人格などは考慮されない。モビルスーツというものをどれだけ扱えるのか、それだけがテスト対象だった。
 用意されたモビルスーツは3体のガンダムだった。
 量産型とは違う特別製のそれは、酷く重い、そんな印象だった。
 オルガは志願兵だ。
 両親を亡くして行き場がなかったせいだったので、愛国心とか使命感とか、そういった大義名分はオルガの中にない。
 作業用から入ったモビルスーツとは当初から相性が良かった。シミュレイションでも常にハイスコアを叩き出すオルガは、すぐに戦闘用モビルスーツ乗りになった。呼ばれたのは、それからしばらく後の事だった。

 重い───。

 機体ではない、その中に詰め込まれた情報量とでも言うべきか。だが、オルガにはその重さが心地良かった。単純な動作しか出来ない従来の量産型とは比べるべくもない。
 3体のガンダムの為のテストで、選ばれたのはオルガを含め3人だけだった。普通なら控えのパイロットも選ばれる筈だ。機密保持の為だと知ったのは、そもそもテストを受けたのが極僅かな人数で、選ばれたのが身寄りのない10代の自分達だという事を聞かされた時だ。
 使い潰すつもりなのだろう。
 だがそう知ってもオルガの心は動かなかった。
 他の二人───シャニとクロトも同様に見えた。特別話す事もなく、また話す気もなく、待機時間はそれぞれ好きに過ごした。彼らの事は、名前と階級以外は知らなかった。それでも、同じミーティングルームで待機する事が多いので、彼らの趣味ぐらいは目に入った。
 クロトは携帯ゲームばかりしている。電子音で表現されるシューティング音や爆発音は軽快なのに、当の本人は面白くも何ともなさそうだった。シャニは寝ているか音楽を聴いているかのどちらかだ。オルガ自身は、軍に入ってから暇つぶしには読書、という習慣がついていた。
 本当に読んでいる訳ではない。文字を追っているうちに自然と別の事を考え始める。おかげでこの作戦の為に艦に乗る時持参した3冊の文庫本は、いまだ1冊目すら内容が分からないままだ。
「───オルガ」
 他の二人も、自分以外の人間の事などオルガと同程度にしか認識していないのだろう、と思っていた。
 それはある意味では正しかったのだが、自分以外の二人が必要でないとは、誰も思っていなかった。
「何してるの」
 反応速度を上げる為の薬───だったか。
 精神覚醒薬、麻薬と言って差し支えない代物だろう。戦闘薬をどぎつくしたイメージだ。
 投与され、コックピットに座ってその意味を体感した。
 あの重さがなくなった。
 ほんの少しのタイムラグもなく、オルガの乗るカラミティ・ガンダムはオルガの体そのものであり、奇妙な覚醒感はまるで普段の自分が愚鈍であるかのようで腹立たしい。そう、普段同じ部屋で待機しながら言葉を交わす事がないのも神経が殆ど眠っているせいではないのか。
 実際、薬を投与しての作戦中は彼らとよく話す。会話として成り立っているかと問われれば疑問は残るが、通信回線は常に閉じられる事はない。
 シャニに縋ったのは偶然だった。
 薬の効果が切れた時、覚醒の代償を知った。全身から冷や汗が噴き出した。ありとあらゆる筋肉が痙攣を起こし、心臓の鼓動と連動する鋭い痛みが爪の先まで表れた。頭痛は酷く、眼球が破裂するのではないかと戦いた。舌は腫れ、やたらと乾いた。何とかしてくれ、そう思うのに喉は言葉を作ってはくれず、腕を動かす事すら思い通りにならなかった。
 暑い。
 熱い。
 寒い。
 痛い。
 内臓が焼け爛れたような感覚だった。皮膚の表面はざわつき、汗にまみれ、ちりちりと電気が走るような不快感を訴えた。投げ出した腕の先に、シャニがいた。
 同じように苦痛に顔を歪め、しかし先に中和剤を投与されたシャニは幾らか呼吸が大きくなり始めていた。偶然触れたシャニの腕を掴もうとしたのは無意識の事で、縋る為ではなかった。指先に触れたものを、ただ確かめたかっただけのような気もする。
 だが僅かに動かしたその指先の意味を、シャニは助けを求めているのだと解釈したのだろう。視界がぼやけていたから、もしかしたら泣いていたのかも知れないし、それなら傍目にはそう見えても仕方がない。オルガ自身にもそれを否定するだけの判断材料はなかった。それ程の苦痛だったのだ。
 シャニは喘ぐように床の上で体をこちらに向けた。
 投げ出されたオルガの腕を取り、半分覆い被さる格好で力なく抱き締めた。体は、触れればそれだけで痛みを訴えたが、そんな事には構わなかった。シャニは中和剤が効いてくるまで、じっとオルガを何かから庇うように抱き続けた。オルガは初めて、1人でない事に感謝した。
 気付いた時、その場にクロトはいなかった。ひと回り体の小さいクロトは薬に耐えられず、蘇生室に入ったのだと、後から聞いた。
「…オルガ?」
 その晩クロトは処置室から帰って来なかった。与えられた個室で1人になりたくなくて、今度は明確に自覚しながらシャニに縋った。
 シャニは受け入れた。
 無表情なのは常だが、あっさりと赦す様子から彼がこういった行為に慣れている事は窺えた。
 今夜は───2度目だ。
 初めてシャニの体を抱いた時には自分の事しか考えられなかった。だから今夜はシャニの方を優先しようとしたのだが───。
 何してるの、と問うのだ。
 肩を抱き、腕を撫で、はだけた胸元に唇を寄せていた時だ。どういう意味だと聞き返そうとしたのだが、シャニが本当に不思議そうだったので躊躇する。
「何って…」
 薄暗い中顔を上げると、肘をついて上体を起こすシャニとの間に空気が冷たく割り込んだ。
「するんだろ? 下だけでも脱ぎなよ。汚れるよ」
「…」
 何かが食い違っている気がする。
 何が違うのか───。
 考えようとして、それは霧散した。肌を晒すシャニの動作から目が離せなかった。
 サイズの合っていないジャケットの袖から出る細い指先が、ぼろぼろのジーンズを下着ごと、ぞんざいに引き下ろす。まるで子供がするような仕草で、なのにオルガはその指に───欲情した。
 オルガには決して、子供や同性をセックスの対象とする嗜好はない。シャニを抱いたのは偶然が重なった末の事だ。自分でも、同性を抱く事が出来るとは思わなかった。今夜シャニの部屋に来たのは、単純に生理現象として溜まっていたせいではある。が、シャニに対して自分が何か感じるのだろうか、という疑問が解消される事を期待していた節もあった。
 解消は、されたようである。
 それは、だがオルガの期待した方向に、ではなかった。
 女の指になど欲情した事はない。
 女に欲情するのはその胸や腰、全体的なラインや肉の柔らかさだ。当然だが、シャニにそんなものはない。確かにまだ子供と言える体つきで、ひと目で萎えるような男性的な特徴は少ない。
 だからと言って、指なのか?
 確実に早くなった脈拍に、オルガは却って冷静になってしまった思考に辟易する。
 シャニは慣れている。
 彼を性の対象にした男は、一体彼の何に欲情したのだろう?
「…しないの?」
 シャニの指先を見つめたまま硬直してしまったオルガに、不審げでもなく声がかけられる。拗ねている風でもなく、また投げ遺りな訳でもないその声。するのかしないのか、ただ単純な問いだ。
「あ…ぁ」
 引き下がるにはいたたまれない状態だ、オルガは観念して軍服に手をかけた。シャニと同じように、脱いだものを床に放る。
 シャニは───。
 どこから取り出したのか、小さなチューブからゼリー状のものを指に掬い取っていた。
 そうだ、前回も確かそれを使っていた。
 前回と同じように、シャニは自らそこを慣らしにかかった。
 目が離せなかった。
 潤滑剤に濡れた指先で二度、三度とそこを撫でる。すぐに指先は音もなく潜り込んだ。浅く差し込まれた指は、中を探るように小さく動く。程なくして引き出された指に、潤滑剤が緩やかに糸を引いた。
「シャニ…」
「待って」
 あくまでも事務的にそこを慣らしている。もう一度チューブから潤滑剤を取り、今度は2本の指を深く差し入れた。
 オルガは思わず喉を鳴らした。
 自らそこをほぐすシャニは、一体何を考えているのか。顔は半分程しか見えないとは言え、シャニからは何の感情も読み取れない。見られる事に抵抗はないのだろうか?
「オルガ」
 ほぐすというよりは、潤滑剤を内側に塗り込めただけの慣らし方だ。それでもシャニはそれだけで指を引き抜く。
「いいよ」
 俯せになりながらそう言うシャニに、オルガは覆い被さった。オルガの方は、軽くさすっただけで充分な硬度となっていた。
 前回と同じように───。
 後ろから貫こうとして、オルガは不意に先程感じた違和感を思い出した。
『───何してるの』
 いわゆる前戯というものだ。
 確かに前回はそんな事もなしにただ自分の悦だけを追った。だからシャニは、オルガは常にそうなのだとでも思ったのだろうか?
 オルガは俯せる肩を掴むと、その体を仰向けにした。
「───?」
 シャニはきょとんとしている。
 意を決して──というのは大袈裟だろうか?──オルガはその唇に、口付けた。
 軽く押し付け、すぐに離す。間髪入れずに今度は深く合わせる。はむようにすれば、シャニの口は簡単に開かれた。
 何の反応もなかった。
 舌を差し入れても噛み付かれる事はなかった。舌を絡ませ軽く吸い上げても、抵抗はなかった。
 されるがままだ。
 まるで人形だ、それなのに。
「…オルガ、どうしたの? もう入れていいよ」
 主導権は、シャニにあった。
 オルガは諦めた。
 仰向けのシャニの両脚を抱え上げる。
「…やりにくくない?」
「…いいんだよ」
 冷静な科白を、ここだけは無視して先端をあてがう。
 女のように簡単には入らない。シャニの協力が必要だ。ちらと顔を見遣ると、シャニは小さく頷いた。
 シャニの体から力が抜かれた。
 急に重くなったように感じる脚を抱え直して、腰を進めた。
「う…───」
 亀頭を呑み込んで、シャニの体が緊張する。
 だが思わず呻いたのはオルガの方だ。
 きつい。
 前の時にも思ったが、女とは余りにも違う。シャニには、やわやわと蠢き包み込む部分はない。ぴったりと押し包まれて、潤滑剤が塗られているにも関わらず奥まで入る事が出来ない。苦痛にも似た快楽だ。
 やがて意図的にだろう、シャニの体から力が抜けた。
 幾らか動き易くなる。
 酷い快楽もあったものだ。動ける範囲は狭い。もどかしい筈なのに、締め上げられる感覚はそれを上回る。簡単に達してしまいそうで、何だか癪だ。2,3度揺すっては少し諌める、そんな事を何度か繰り返した。
 だがそれも長くは持たない。
 揺すられるシャニの顔に一旦目が止まってしまったら、駄目だった。僅かに顰められる眉、ぎゅっと閉じられてはまた開かれる瞼、熱の篭った息を吐く口。だぶついた袖口から覗く指が、薄い枕の端を掴んでは離す。
 オルガの様子に気付いたのか、シャニの目が上げられた。
「オルガ…」
 その指が、オルガの肩に伸ばされる。
 限界が近い事を悟ったのか、シャニはふっと笑った。
 笑ったのだ───。
「ねえ、中でしていいよ」
 そうして、オルガの首を引き寄せ、その頭を抱き込む。吐息混じりに囁かれて、オルガは考える事を放棄した。



 時計を見て、オルガは溜め息を殺せなかった。
 シャニの部屋に入って10分と経っていない。
 しかも、また自分だけが達した。前回も今回も、シャニは達するどころか萎えた状態のままだった。
「俺はいいの」
「何でだよ」
 ムダだから、とシャニは呟いた。
 何がムダなのか、聞こうとしてオルガは止めた。まともな答えが返ってくるとは思えない。腹いせに、シャニの細い体を抱き込んだ。腕の中から小さな笑い声が聞こえた。
「…お前、さっきも笑ったな」
 今更自尊心がどうと言うつもりはなかったが、シャニが『笑う』という事自体が珍しい。
「オルガ、かわいいなあと思って」
「………何?」
「かわいいなあって」
「…」
 返す言葉が見つからない。
「オルガ、女の子にもてただろ」
「…は?」
「くすぐられちゃうんだろうなあ、母性本能とか」
「…」
「俺が見てもかわいいなあって思うし」
 普段滅多に口を開かないシャニだが、こうなるともうどうしたら良いのかオルガには分からない。
「…なあ」
「何?」
 そういう時には、話題を変えるしかないものだ。
「お前、何でやらせるんだよ」
「えぇ?」
「お前は楽しめない訳だろ」
「ああ…」
 どういう理由か、シャニは前戯やら愛撫やらを拒む。何がムダなのかは分からないが、それなら何故辛いだけの行為を受け入れるのか?
「お前、いい奴だからかな」
「…はあ?」
 またしても予期しない科白が飛び出して、オルガは呆れた。
「俺がいい奴?」
「うん。いい奴だよ、お前」
 一体自分の何を見てそう判断したのか。
 そもそも、そう判断を下せる程付き合いが長い訳でも、じっくり話し合った事がある訳でもないのだ。シャニの中の基準に、オルガの何かが合格したという事なのだろうか。
「…訳分かンねぇ」
「そう?」
 身じろぐシャニの頭を乱暴に撫でる。
 何だか釈然としなかった。
「またしたくなったら、していいよ」
「…俺がいい奴だから?」
「そう」
 訳が分からない。
 薄闇の中、撫でた髪をかき上げて普段は隠れた顔を見る。
 シャニの右目は紫だが、左は金色だ。出会った当初は、両目の色違いを気にしているのだろうかと思った。だが、こうしてその髪を除けてもシャニは嫌がる素振りもない。
「…いい奴だったら、誰にでもやらせんの?」
「はあ?」
 気に入らない。
 釈然としない『何か』は、オルガの中で急速に肥大した。
「…もうしねえよ。悪かったな、付き合わせて」
「…」
 何がどう食い違っているのかすら分からない。だが、シャニは確実にオルガとは違う感覚でセックスという行為を理解してしまっている。
 これ以上話をしていたらろくな事になりそうもないと判断したオルガは、半分突き放したようにベッドを抜け出た。シャニは、残されたベッドの中で、ふうんと言っただけだった。その声からはやはり何の感情も読み取れなくて、オルガは奇妙な敗北感に見舞われる。
 だが、深入りは無用だ。
 言い聞かせて、オルガは自室へ戻った。

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