エアケントニスの怪物:3


 
 
 拍子抜けするほど、ナルトに変化はなかった。
 あれから三週間が経つ。
 病院では常におとなしく、度重なる検査や問診にも文句のひとつも出なかった。不安そうに揺らぐまなざしも、しかし変わらない。見舞いに訪れる友人たちも、かつてのナルトに接していたのと同じように振る舞っても、戸惑った瞳に結局負ける。
 ただ、身体的な変化は良い方向へ顕著に出ていた。
 出される食事は平らげ、意識のなかった間は治りの遅かった怪我もみるみる回復し、削げた肉が戻ってきていた。筋力トレーニングも入院中のメニューで始めており、忍として正式な復活はまだまだ先であっても、簡単な任務なら可能であるとサクラからの許可も下りた。
 そしてそれを受けて、火影代理のカカシはナルトに捕虜サスケの監視を、復帰任務として命じたのだ。
 当初の予定通りである。
「なんかねー、忍を辞めさせられるんじゃないかと思ってたらしいよ」
「…ナルトが?」
「そー。体に問題がないならいいんじゃない、て言ったらさ、あからさまにホッとしてたから」
 まあでも、任務内容聞いて固まっちゃったんだけどね。カカシは苦笑とも微笑とも取れるため息をつく。つられてサスケも息を吐いた。
 あれ以来、サスケはナルトの病室には行っていなかった。ナルトの『任務』の初日に再会したが、例によってサスケは目を覆っているので、回復したという姿は見ていない。
 チャクラは、ずいぶん落ち着いていた。
 だが、馴染んだチャクラではない。記憶のないナルト独特のものだ。それでも、あの日取り乱したものから比べればマシだろう。
『…ただの監視だろ。そんなべったり張り付いてなくてもいいんじゃねえの』
『…あなたの、世話も…含まれているんです』
 車椅子を卒業したサスケの斜め後ろに控えて歩くナルトは、恐らく相当緊張していただろう。
「で、今日で六日目? どう、ナルトは」
「正直やってらんねえ」
「何それ」
 交代制の任務ということで、日中の監視をナルトが担当、夜間は病室の監視カメラで他の忍が担当ということになっている。その時間を利用して、カカシは様子を見に来ていた。
 げんなりした声に、カカシは苦笑する。
「俺は監視されることには慣れてる。それはいい。だが、世話って何だ」
「お世話はお世話でしょ。お前、目塞がれてるんだし、手錠してるし」
「目が見えなくたって、だいたいは何とでもなる。手錠も後ろ手じゃねえし、俺が出歩いていい範囲も狭いしな。今からでも遅くねえ、任務から『世話』を外せ」
「ええー。そしたらお前、ナルトを監視できなくない?」
「あのドベが俺を監視できるところにいるなら、多少離れても問題ねえよ」
 カカシは、ベッドの上で尊大に胡座をかくサスケをまじまじと見つめた。
「…あのさあ、サスケ?」
 目を隠されているにしては正確に、サスケはカカシに顔を向ける。確かに気配に聡いサスケなら、多少離れたところでナルトのチャクラを捉えるのに支障はないだろう。
「お前、肌ツヤ良くなったね?」
「は?」
「髪もなんか、天使の輪、できてるし」
「…」
 サスケは半分口を開きかけたまま一瞬硬直し、次いで顔を背けた。自覚はあるらしい。
「あ、あいつが」
「ナルトが?」
「やることなさすぎて、マジで世話焼いてくるんだよ!」
 よくよく見れば、寝間着の浴衣もぴしりとプレスが利いている。
「朝来て『おはようございます』から始まって、人の身繕い勝手にやってメシ作って掃除して洗濯して、人を風呂に放り込んで髪乾かして病院まで送り届けて『おやすみなさい』なんだよ! しかも…しかもだ、日に日に上達しやがる、特にメシ!」
「…あー、はは。すごい真面目に任務してるんだね、ナルト…」
 カカシは腹筋を引き攣らせながら、わめくサスケを眺めた。
「…やってらんねーのは、そうやって世話焼く癖に、俺にびびりまくってるってことだ」
「え、なに、あの子まだお前が怖いの」
「俺が猛獣か何かに見えんのか?」
「…見えなくもない、ね」
 ふざけんな、サスケが投げた枕は正確にカカシの顔に届く。
 目が見えなくても、か。
 確かに目隠ししたサスケが一人で歩いているのを見ても、何の不安感もない。何かに躓くところなど見たことはないし、下手をすれば見えている者よりよほど見えているとも感じられる。だが見えていないことは確かで、茶碗に残る米粒は把握できないから食事は握り飯だし、書物は朗読係が必要だ。
 カカシは枕を戻しながら、サスケの懸念を思った。
 カカシから見ても、ナルトの不安定さは記憶障害によるものだけとは思えない。だからこそ虜囚であるサスケの写輪眼を頼ったのだ。ただ、サスケの言うほどには危機感が感じられないのも事実だった。
 だが、ナルトとサスケは何かが繋がっている。そのサスケが言うのだから、軽視は出来ないとカカシは思う。
「…あのさ、サスケ」
 任務復帰にあたり、簡単なテストをした際のナルトを脳裏に描く。
「ナルト、記憶なくしちゃってるけどね、忍としては問題ない」
「…それが何だ」
「前の落ち着きのない時と比べるとね、ぶっちゃけ優秀なんだよね」
 まあ、今は別の意味で落ち着かないんだろうけど。
「何が言いたい」
「記憶、戻るか戻らないかは分からないってサクラも言ってたでしょ。思い出せないなら、どうしたってそれで生きてくしかない訳だよ。しばらくは記憶障害を理由に大きな任務には出さなくて済むかも知れないけどさ、将来的にはそうも言ってられなくない?」
「…結論を出すなら早いうち、か」
「そうゆうこと」
 何が引っかかるのか、せめてそれだけでもハッキリしてくれたらいいのに。言外にそう匂わせると、サスケは僅かに俯いた。ただそれだけの仕草が、子供が泣きそうな様子にも見える。つやつやの髪を撫でると、条件反射のように振り払われた。
「ま、それでさっきの話に戻るけど」
「…さっきの、ああ」
 サスケの世話のことだ。
「今のナルトが気配絶ったら、探すのは難しいと思うよ」
「…」
「という訳だから、世話されておきなさいね」
 苦々しく唇を噛むサスケの頭をおまけでポンと叩いて、カカシは病室を出た。

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