エアケントニスの怪物:4


 
 
「おはようございます」
「…」
 寝ぼけた頭をようよう起こすと、足音が近付いてサスケはため息をついた。
 ナルトは気配を隠すことはしないが、何の匂いも感じられないことにサスケは気付いている。匂いを操る忍はともかく、普通は存在を知られる要因となるそれは消し去るのが基本だ。
 忍の基本を、守っている。
 ナルトが。
「着替えです」
 サスケの手の届くところに置かれたのが、ふわりと届く僅かな風圧で知れる。そう、それはわざとなのだ。ナルトのくせに。手錠を外す控えめな音、手首には何の負担も与えずに取り去る。ナルトのくせに。
 何も持たず里へ帰ったサスケに私物はない。
 与えられるのは古着で、だがサスケは頓着しなかった。手探りで寝間着を脱ぎ、ナルトの持ってきた服を着る。側でナルトが手ぬぐいを絞る音が聞こえていた。着替えが終わった、と手首を僅かに持ち上げて待てば、外した時と変わりなく手錠をかけられる。ナルトの緊張が伝わる。
「包帯、外します」
 その緊張は、一日二回サスケの目を隠す包帯を取る瞬間がピークだ。朝に顔を清める時と、夕刻に風呂を与える時。指先が慎重に包帯を解く。
 完全に外されても、当然サスケはその瞼を上げることはない。サスケは諦めの境地でおとなしく顔を拭われた。次には、寝癖の酷い髪を梳かれる。以前に比べてもつれが少ないのは、ナルトの手入れの賜物だろう。
「…あの」
 髪を梳きながら、ナルトがサスケの頭上から声をかけた。
 珍しい。作業の始め以外でナルトが話しかけてくるのは、初めてかも知れない。いや、考えてみれば、サスケの方から話しかけることもないのだ。
「何だ」
 そんなことを思って遅れた返事を、律儀に待ったナルトが接いだ。
「…目、は…悪いのですか」
「ああ?」
 今更な話題に、サスケは首を傾げた。
 カカシやサクラ、見舞いに来た友人から子細は聞いていないのだろうか。
「…そのうち失明するが、今は何ともねえよ」
 動揺したらしい指先が、ぴくりと櫛をぶれさせた。
「…では、今は、目を開ければ、」
「ああ。普通に見えるぜ」
 櫛はすべらかにサスケの髪を往復した。いっそ恭しいまでの扱いだと、ナルトは気付いているのだろうか?
「では…何故、目を開けないのですか」
「禁じられている」
「…でも、あの時は…」
「お前を視ろと言われた」
 櫛が離れる。
 カタリと櫛を置く音がして、空気が動く。ナルトが正面に回り込む気配。
「…封印を、施されている訳ではない、のですね」
「強いて言うなら包帯ぐらいだな」
 声の位置はサスケの正面、しかもかなり近い。閉じられた目を見ているのだろう。緊張は変わらないものの、大した進歩だとサスケは思った。
「…あなたの、目を…」
 声は、ナルトだ。
 だがサスケの記憶にあるものより幾分低い。袂を分かったはずの相手に、離れていた時間を思い知らされてじわりと寂寥感が滲むのは、真実気のせいだろうか。
「己(おれ)は、見たい…」
 目を見たい?
 サスケは口端を小さく上げた。
「お前、俺が怖ぇんじゃねえのかよ」
「…でも、己が覚えているのは…あなたの目、だけなんだ」
 吐息が近い。
 閉じられた目を覗き込んでいるのだと知れる。緊張と不安、そして焦燥のようなものが伝わって、サスケは少々憂鬱な気分になる。
「…許可取ってこい」
「許可」
「カカシとサクラ」
「…はい」
 このナルトの、何かを俺は疑っている。
 記憶を失って不安に満ちている、このナルトを。そう思うと罪悪感すら浮かんでくるのを、サスケは自嘲した。今更だ。今更なのだ。何が罪悪感だ。それ以上のことを、俺はした。
 全くもって今更だ。
 顔を清める前と同じように巻かれてゆく包帯の感触には、安堵感さえある。それは自分がここに囚われていることの象徴で、意味もなく無抵抗でいることへの免罪符だ。
 包帯の端を丁寧に止めるのを待って、サスケは立ち上がった。
 

*     *     *

 
「お前、俺のこと何も聞いてねえのか」
 見えていないというのが冗談のようにすたすたと歩くサスケについてゆくことに、ナルトはこの一週間でようやく慣れた。
「…この、里の出身で…抜け忍だと」
「それだけか」
「半年前の戦の時、連れ戻された…とだけ」
 ふん、と鼻白んだ返事。
 うちはサスケという人間は、実に尊大だ、とナルトは思う。里抜けは大罪だ。普通は追っ手をかけて始末するものだろう。それを連れ戻したばかりか、怪我の手当までして、チャクラを封じることもしない。怪我の程度が酷かったせいもあるだろうが、捕虜とは名ばかりの待遇であることは明白だ。
 その捕虜を、監視すると言うのなら牢に繋いでおけばいい。
 そうせずに自分に監視任務を命じたのは、実際のところ自分が試されているのだろう、とナルトは思う。大怪我を負い半年も意識不明で、挙げ句に記憶を失った、この自分。忍として使いものになるかどうか、試されているのだ。
「俺がお前らとチーム組んでたことは?」
「…え?」
 嘲笑のように、サスケの口元が歪められた。
「お前と俺、あとサクラとカカシ。フォーマンセルならこの四人だったんだぜ」
 意味が分からない。
 仲間だった?
 サスケは己と仲間だった?
「俺はお前らを捨てて、里を出たんだ」
 サスケの声からは何の感慨も感じられない。かといって、思い出話を楽しんでいるようにも感じられない。己の反応を見ているのだと、うっすらと気付く。
「…裏切っ、た…?」
「そうだ」
 実感がない。当たり前だ、己には憤るべき元となる記憶がないのだから。
「あいつらはな、甘い。一番甘かったのがお前だ。それで俺は今、こんなところで生き恥晒してるって訳だ」
 ゆるりと振り向いて、サスケは笑った。
「俺の怪我はお前のせい、お前の怪我は俺のせい…全く世話ねえよ」
「…あなた、は…己を…」
 殺そうとした?
 出なかった言葉を察したサスケが、まるで己が見えてでもいるように、顔を寄せる。気圧されて一歩下がったことにも、当然気付いているのだろう。
「お前が俺を怖がるのは、そのせいかもな」
 殺されかかった記憶が、己に残っているのか。
 いや、だが。
 恐怖では、ない。
 見つめて今更気付く。
 畏怖なのだ。
 違う、と呟いた声は、声にはならなかったが、サスケには届いた。

「己はあなたに…支配されたいんだ」

 ぴたりとサスケは停止した。
 忘れていたがそこは病院の通路で、己の科白が聞こえたらしい看護士たちも停止した。
「…意味分かんねえ」
 それはそうだろう。ナルトにも分かってなどいないのだ。だが取り繕う術も知らないナルトは、再び歩き出すサスケに黙ってついてゆくしか出来なかった。

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