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「サスケ君は、どうしたいの?」
検診を終えて、サクラは包帯を手にサスケの目を覗き込んだ。
黒く煌めく瞳は、ただサクラを見返す。
「…ここにいたい」
「ここって、牢の中ってこと?」
「チャクラを封じて、牢も封印してほしい」
サクラはむっとしたように唇を突き出した。どうやら極刑はなさそうだと理解したらしいサスケは、今度は永久に投獄されることを期待している。
「…と、カカシには言ったんだがな。却下された」
「…でしょうね」
「俺がどうしたいかなんて、関係ねえだろ。…上の連中の審議次第だ」
一日に二回行っていた基本検診は、牢に入ってからは一回となっていた。サクラは多少の苛つきを、カカシには雫している。
記憶喪失だったナルトがサスケの『監視』をしていた時には、確かにリハビリの効果は出ていたのだ。それが、牢に入ってからは鎖に繋がれ、使われなくなった筋肉は再び衰え始めている。サスケは牢の中では、全く自発的に動いていないということだ。
「それで? 釈放の判決が出ても、まさかずっとここから出たくないなんて言わないわよね?」
今度はサスケがむっとする。
「釈放はありえねえだろ」
「どうかしら。ナルトの記憶喪失だってサスケ君が解決しちゃったのよ? 心証が良くなることばっかりしてるんだから、ありえなくもないんじゃない?」
「そんなに甘くねえよ」
カカシには愚痴を雫したが、完全に回復したと言えるナルトを、ただサスケの『監視任務』だけに充てることが出来るほど、里の内情が暢気ではないとサクラも分かっている。だが主治医としてなら、いくらでも文句は言うべきだろう。
判決が出るのはまだ先だ。
どんなに重い処分であろうとも、サクラにはサスケをサポートする覚悟は出来ている。だが、サスケが期待するより遥かに軽い処分であった場合には、サクラには何も術がないのだ。
「…ねえ、サスケ君」
包帯を握り締めたまま、サクラはサスケを見つめた。
「昨日、ナルトがここに来たでしょ」
見つめる先で、すう、とサスケの口角が上がる。ああ、まただ。だがサクラはそれに気付かないふりで言葉を続けた。
「あんまり苛めないでくれる? 任務にも影響するのよ、あいつの場合」
「別に苛めてねえよ。あいつは何が不満なんだ」
ナルトの話題になると必ず、サスケの顔は造形物のようになる。それはナルトの記憶が戻ってからのことだ、とサクラには思える。
「サスケ君が自暴自棄でこんなところに入ってるからでしょ。目を真っ赤にして帰ってきたんだから」
「…包帯まだか」
「話を逸らさない!」
軽くため息をついて目を伏せるサスケに、サクラは仕方なく包帯を巻き始めた。
「…俺は間違ったのかも知れない、って言ってたわ」
「ナルトが?」
「そうよ。何をって訊いても、それ以上は何も言ってくれないの」
「…意味が分からねえな」
本当に?
サクラは疑問を飲み込んだ。サスケがそう言うなら、つまりそれ以上のことは言う気がないということだ。
「…私たちはね、サスケ君のことが好きなのよ。大事なの。またうざいって言う?」
「言わねえよ」
即答だ。
サスケの中で予測される問答には、淀みがないことにサクラも気付いている。それを突き崩すには、サスケの予期しない問いをぶつけるしかない。
だが、サクラにはそれが分からない。
恐らくナルトにも分からなかったのだろう。
「そう? サスケ君がそんな殊勝な態度だと調子が狂っちゃうわね」
それに対して「ふん」と鼻で笑う様子だけ見れば、昔と変わらないというのに。包帯の端を止めて手を離し、サクラはその頭を見下ろした。
ナルトが意識を取り戻すまで───正確には、意識を取り戻し記憶喪失から回復するまで。サスケは確かにナルトを心配していた、とサクラは思う。それが何故、記憶が戻ってからのナルトに、そんな態度なのか。いや、表面的にはナルト以外の人間に対しては変わらないように見えても、もしかするとその実。
「ねえ、もし…本当に釈放になったとしても」
サクラは出来る限り平坦に言う。
「勝手に死んだりしないでね」
サスケは笑った。
「ああ、分かってる。せっかく助かった命だからな、せいぜい有効に使うさ」
即答だった。
サクラは歯を食いしばった。
* * *
集中できない、という言い訳は通用しない。
ナルトは任務中に軽傷を負って帰ることが増えた。傷の治りの早いお陰で任務自体に支障は出ないのだが、カカシには小言を言われ、サクラには頭に拳を貰うナルトだ。
だが、意気消沈しているのはそんなせいではない、とチームを組んだ仲間も気付いている。
彼らは、記憶の戻ったナルトの様子が以前と比べて沈みがちだということを心配した。せっかく記憶が戻ったというのに、どうにも精彩を欠いているのだ。細かな失敗も多い。これでは、記憶喪失だった間の方がよほど忍として有能だったと言わざるを得ない。
一言で表すなら、心ここにあらず。
「こっちは、何とかやりくりしますよ?」
見かねたシカマルが、任務報告のあとにカカシにそんなことを言い出すほどに。
「でかいヘマやらかす前に引っ込めた方がいい…つうのが、俺たちの感想っスね」
「…あと少しなんだけどね…」
サスケの処遇についての審議は、断罪派と擁護派に割れてなかなかまとまらなかった。里の中にはサスケを赦す空気が漂うが、重罪を犯した事実は消えない。そして他国の手前、上層部に断罪派がいて審議が難航しているという状況は、決して悪くはないのだ。だがナルトが落ち着かないのもそれが一端だろう、と皆が気付いている。
「あと少しだからっていう言い訳も立ちますよ」
あと少し。
今までを考えれば、あと少しも経てば判決は出る。だが現実に、その『少し』がナルトには長すぎるのだ。
「それも分かるけどね。結局判決が気に入らなかったら同じことでしょ。悪いけど、もうしばらくフォローしてやって」
「…はあ」
ある程度は予測していた答えだったのだろう、シカマルはそれ以上言うことはなかった。
カカシは、今、単純にナルトとサスケを一緒にしておきたくないと思う。ナルトが深く傷付くのと同様に、サスケもまた傷付くのだ、と。或いは、傷を恐れるゆえのあの態度なのかも知れない。それに、ナルトに関してサスケは何かを隠したままだとも思う。
火影というのは大変だ、カカシは一人ため息を漏らした。
代理の今でさえこの状況だ。
(向かないよ、ホント…)
サスケの様子を見に行くどころか、ナルトの話をゆっくり聞いてやる時間すら取れない。サスケは、病院に軟禁していた頃なら暇を見て行くことも出来た。だが、監舎の地下牢ともなれば手続きは必要だ。本格的に任務に復帰させたナルトの方も、時間を合わせ辛くなっている。
唯一サクラだけが、あの二人とカカシを繋いでくれている。ただ、そのせいでサクラは更に忙しいことになっていた。いつまでも続く状況ではないとは言え、歯痒さと疲労はさらさらと堆積してゆく。
「先輩、ちょっといいですか」
もう仮眠を取らないと無理、というところへ、ヤマトが姿を現した。
「…ちょっとって、どれくらい?」
「ちょっとはちょっとですよ」
先輩の耳には入れておきたい話です、とヤマトは苦笑する。カカシが仮眠室へと立ち上がるのを、わざわざ見計らってのことなのだ。ナルトに割り振る任務には、ほぼ全てにヤマトを組み込んでいる。話はナルトのことなのだろう。カカシは諦めて、ヤマトを仮眠室へ促した。
* * *
何だ、ここは。
ナルトは一瞬分からない。だが、目の前にあるのは、封印の剥がれかかった九尾の檻に間違いはない。
戸惑ったのは、その様相だ。水浸しのはずの床には無数の巻物が散乱している。檻の中だけは多少整頓された場所があって、壁に沿って積まれた巻物が何かの模様のように見えもする。
だが、何より。
そこにいるべきモノがいない。
九尾の妖狐がいないのだ。
ここは封印の場所ではないのか。
それとも、それを夢に見ているだけなのだろうか。九尾のいない檻の夢。散らばる巻物の上に、ただ立ち尽くす。不安定な足元は、そのままナルトに伝染する。或いは、不安定ゆえに見ている夢なのだろうか。暗く湿った檻はサスケを連想させる。あんなところに閉じ込められると分かっていたら、記憶など戻らないままの方が、良かったのではないのか。
サスケにとってではない。
自分にとってだ。
ナルトは自嘲に顔を歪めた。