ゲシュタルトロス・フクス:9


 
 
「それで…?」
 処遇が決まった、と牢を訪れたカカシに、サスケは体を起こして顔を向けた。
「その前に、ひとつ訊きたいことがある」
 目にはいつも通り包帯が巻かれているが、以前会った時より窶れた印象だった。ナルトが『監視任務』をしていた時には、確かに健康を取り戻しつつあったはずなのに。
(こんなところに入っているから)
 それを願ったのはサスケだったが、命じたのはカカシには違いない。
(サクラが文句言う訳が分かるよ)
 筋力も落ちてきている、とサクラは言った。牢の中では全く自発的に動いていないようだ、と。監視カメラの映像でも、鉄格子に近付く気配もない。割合広いスペースがあって、課せられているリハビリの筋力トレーニングもそこで出来るはずであるというのに。
「…何だよ」
 訊きたいことがある、そう言って口を噤んでしまったカカシを、サスケは焦れるでもなく促した。カカシは重い口を開いた。
「お前、何か隠してるよね」
「俺が何を隠してるって?」
 フンと笑ってサスケは切り返した。
「ナルトについて」
「ナルト?」
 意外だ、というように首を傾げてみせるサスケに、カカシは確信を深める。
「この前侵入してきた時のことなら、あれで全部だぜ。別に脱走の計画とかを立ててた訳じゃねえよ」
「お前に逃げ出す気がないってことは信じてる。実際、その程度まで回復してれば脱走なんて難しくないでしょ。俺が言ってるのはナルトのことだ」
 サスケははっと短くため息をついて、ベッドの上で背後の壁に凭れた。
「俺がナルトの何を隠してるって?」
「それを訊いてるの」
「あんた、何を疑ってるんだ」
「それはこっちの科白だよ。お前、まだ里を信じられないんだろう。それで言えないのか? それとも、ナルトの不利益になるから?」
「…」
 サスケは一瞬不思議そうにカカシに顔を向け、そして小さく笑った。
「何だそれ。そこは普通『お前の不利益になるから』じゃねえのかよ」
「違うね。お前は自分のことなんて、どうでもいいと思ってるだろう? リハビリをさぼる理由が他にあるなら言ってごらん」
「…めんどくせえんだよ」
 ついと顔を背けてサスケは言った。そんな仕草ばかりは昔と変わらない、カカシは少々俯いた。
「…ナルトの記憶が戻った時、何があった」
「は? 何だ、今頃」
「あのね、退行催眠でナルトの記憶が戻ったなんて、誰も思ってないよ。お前が取り戻してやったんだろう? お前が引っかかっていたことって何だ。封印が外れかかってる、それだけってことはないだろう。もしかして、この前ナルトがここへ忍び込んだことと関係あるんじゃないのか?」
 サスケは黙って聞いていた。
 当たりだ、とカカシは思う。だがサスケは当然否定するだろう。僅かに上がる口端を見て、カカシはナルトがここへ飛び込んできた時のことを思い出した。
 あの時、ナルトが記憶喪失中のことを覚えていないのだと、いつサスケに伝えたのだったか。サスケの反応を思い出せない。無反応だったのか、型通りの『驚き』を見せたのか。いずれにしろサスケはそれを知っていたのだろう、とカカシは感じたのだ。
「…写輪眼だって万能じゃねえ」
 薄く笑ったまま、サスケは呟いた。
「運良く記憶が戻っただけで、完全じゃなかったのかもな」
「…それで押し通すつもりか?」
「押し通すも何もねえよ」
 サスケは揺らがない。彼の中で全て想定されていた問答なのか、それとも本当に何も隠していないのか。
 隠していない、とは到底思えなかった。
「じゃあ、この前の侵入のことをナルトが覚えていないっていうのは、どう思う? サクラはさ、これも一種の記憶障害だって言うんだけど」
「知るかよ、俺が」
「知ってるか知らないかは訊いてないよ。どう思うかって話」
「…俺がどう思うかなんて、関係ねえだろ」
 一瞬言い淀んだことに、カカシは少なからず安堵した。
「関係あるさ。記憶喪失のナルトがどこかおかしいって、お前が思わなかったら、あのままだったんだから」
「…」
 サスケの眉間が僅かに寄せられた。包帯の巻かれた顔でははっきりと表情を掴むことは出来ない。だが、自らについて何もかも諦めている節のあるサスケにも、ナルトに対してだけは何かあるのだ。
「…俺はね、信じるよ」
「何を」
「お前が黙ってる理由が、ナルトのためだってこと」
「…」
 呆気に取られたような口元が僅かに歪んだ。おめでたいことだな、と吐き捨てるのが聞こえた。
 おめでたいと言われようとも、カカシは火影代理であると同時に、彼らの『先生』だった。火影代理として厳しいことを命じなければならないこともある。それは、根底に信頼関係がなければ成り立たない。
「じゃ、この話はまた今度」
「…これで終わりじゃねえのかよ」
「当たり前でしょ」
 その声には既に、苛立ちは含まれてはいなかった。
 それで、と促されてカカシは苦笑する。そうだ、これが今日の用件だった。
「…さっき、決まったばかりの判決だ」
 試すような真似はしたくない。だが、たとえカカシが代理でない火影だったとしても、重要な案件を勝手に裁決することなど出来はしないのだ。五影会談の襲撃、木ノ葉の襲撃。その罪状から、ナルトを助け九尾の出現を抑え込んだことを差し引いての判決。
「ひとつ、うちは姓の剥奪。お前はこの先、ただの『サスケ』だ」
 サスケは微動だにしなかった。
「ひとつ、両足首の切断。ひとつ、写輪眼研究への協力。補足、住居は木ノ葉病院の病室とし、夜間は暗部または指定の忍の警備を付ける。外出時の単独行動は反抗の意志ありとみなし即逮捕する」
 奪うのが両足首だけなのは、上層部からすれば温情なのだろう。写輪眼研究の対象者であるサスケを逃がさないため、研究者の保護を図るため。研究の上で、チャクラを封じては意味がないゆえだ。そして病室に暮らせば人目も多く、警備体制もそれなり整っている。監視と警護を兼ね、研究で万が一のことがあっても対処しやすい。
 どこまでも傲慢な、一方的な判決だ。木ノ葉を脅かした代償としては軽いのだと断罪派は言い張る。確かにそうかも知れない。だが処刑を回避したのは、ひとえに写輪眼惜しさゆえという利己的な理由なのだ。それでも、カカシは処刑を回避できたことだけは感謝した。当初は手首の腱も切ると言ったのを、それでは彼の世話に手間がかかりすぎるだの、里の民の理解は得られないだのと宥めた。彼らには、うちはを追い詰めた罪悪感すら残っていないのだ。
「…それだけか?」
 黙って聞いていたサスケが怪訝に問いかけた。
 それだけ?
 カカシはマスクの下で唇を噛んだ。そうだ、サスケは処刑をも覚悟していたのだ。
「そう。それだけだ。懲役はナシ、お前は手錠から解放されるんだよ」
「…ずいぶん甘い判決だな」
「里でのお前の評判はそう悪くはないってことだ。減刑嘆願の署名なんかも届いてるしね。いくら他国がうるさくても、口なんか出させないさ」
 サスケは、今度は皮肉な苦笑が出なかった。
「…寛大な処遇に感謝する」
 それはまるで、失望したとでも言うような声音だった。同時に、どこか安堵したかのようにも、カカシには聞こえた。
 

*     *     *

 
「どういうことだってばよ…!」
 執務室に戻ったカカシを待ち受けていたのは、ナルトとサクラだった。サクラの目は赤い。
 判決は里じゅうに公布されていた。死刑ではないものの、両足の切断という一般では見られない刑に人々は批判的だ。公布して数時間と経っていないというのに、ここへ辿り着くまでには多くの人々からヤジを飛ばされた。それを、ありがたいとカカシは思う。
(もっと強く批判してくれればいい)
 刑の執行は今すぐではない。重罪人であるところのサスケの処遇は他国にも伝えられる。カカシと擁護派が断罪派に折れる形で決まった内容だ、それなりに理解は得られるだろうと期待する。カカシはその上で、減刑の嘆願署名を持ち出して両足切断の刑を軽くさせる算段を組んでいた。
 だが、当然リスクは高まる。
 そのリスクは、処刑を回避するとした火国の意向を受け入れた時点で発生したものだ。刑が軽いと他国が判断するのなら、火国も体裁が悪い。どうしても処刑を望む国から刺客が送り込まれることもあるだろう。逆に、この刑が妥当あるいは重いと判断されるなら、火国は体裁を保つことが出来るが、不自由となったサスケを写輪眼欲しさに誘拐しようとする動きもあるだろう。里を抜けるつもりはないと言い切るサスケだ、現状でなら、本人自ら撃退するのも難しくはない。だが両足が利かないのであれば、どうしたって警護は必要だ。木ノ葉は貴重な血を調査できる代わりに、厄介な荷物を背負い込むという訳だった。
(そこにつけ込んでの計画だけどね…)
 カカシは目の前の二人を冷ややかに見下ろした。
「何しに来た」
「こんな判決あるかって言ってんだってばよ、先生!」
「こんな…って、ね。じゃあ、どんな判決だったらお前の気に入るの」
 分かっている、無罪放免は無理でもせいぜい懲役刑で済むあたりを期待していただろう。
「両足切断って、足の自由を奪うのが目的なら、足枷で済む話じゃんか!」
「意味合いとしては同じだけどね。絶対的にサスケの意志ではどうにも出来ない状態にしたいんだよ」
 寛大な処遇に感謝する、そう言ったサスケの横顔を思い浮かべる。安堵したかのようにも見えたそれは、彼が思うよりも軽い刑であったためではない。自分の意志で里を抜けられない状態となることへの安堵だったのだろう。
「サスケは里を抜ける気なんかねえって言ってるだろ!」
「口では何とでも言えるでしょ。俺たちだけが信じても、意味がないことだ」
 カカシはため息をついてひらひらと手を振った。
「出てってくれる? 仕事の邪魔だよ。見てこの嘆願書の山」
「先生! 足をなくすってことは、忍やめろって言ってんのと同じなんじゃねえのかよ!!」
「…ナルト」
 手に嘆願書の束を持ち、カカシは目だけでナルトを振り返る。
「あれだけのことをしでかした奴が、忍に復帰できるとでも思うのか? お前、本当におめでたい頭してるね」
「せん、せい…っ」
 ショックを受けたような目が、収まらない怒りを宿したままカカシを射た。一瞬、記憶喪失中の冷たい目を思い出す。だが、今そこにいるナルトの激しい目は、カカシにとっては救いだった。
 ばさりと嘆願書を机に落とし、厳しくナルトを見据える。
「何? 気に入らない? 気に入らなかったら、どうするの。サスケを攫って里から逃げ出す? 言っておくけど、サスケは逃げないよ。そしたらアレだね、今度はお前が罪人だ」
「カカシ先生…」
 いきり立つナルトの腕を引いて、サクラが怪訝にカカシを見上げていた。聡いサクラなら、カカシが何を思って冷たい態度を取るのか察するかも知れない。
「サクラ、ナルトがバカな真似しないように気を付けてね」
 サクラに対してはニコリといつもの笑顔を向ける。ナルトは怒りと失望に歯を食いしばり、サクラを振り切って飛び出した。
「ナルト!」
「サクラ、いいから」
 カカシは今度こそ本当に疲れたため息をつき、苦笑した。
「先生…?」
「見ろ、これ。机の上、半分以上がサスケの減刑を求める署名と嘆願書だよ」
「え…」
 それはサクラたちが呼びかけた署名も含まれている。だが明らかに、それ以上の数が積まれているのだ。そして、個人から書簡で届く嘆願書は著名人からのものが多い。大半は木ノ葉の里の人間からだが、次いで多いのは波の国の住人からだった。
「判決が出るまででこの量だ。今日の判決が広まったら大変だね、きっと」
「先生…」
「いやあ、ほんと。抗議の人たちが、無視できないぐらい押し寄せたら大変だ」
 ねえ、サクラ?
 微笑みかけると、サクラは弾かれたように、ナルトのあとを追って飛び出した。

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