ゲシュタルトロス・フクス:10

10
 
 
「サスケ!」
「…どうした」
 牢に飛び込んできた騒がしい気配に、サスケは苦笑した。
「ああ…面会禁止は俺の判決が出るまでだったな」
「お前、もう判決聞いたのか!?」
「さっきカカシから聞いた」
 落ち着いたサスケの様子に、ナルトはたじろいだようだった。一体何をしに来たのか。サスケは笑みを湛えたまま、声のする方へと顔を向けた。
「サスケ…」
 がしゃん、と鉄格子の揺れる音がして、ナルトがそれを掴んだのだと知れる。サスケはベッドから降りると、鎖を引きずってナルトへ歩み寄った。ざらざらと床を擦る音はすぐに消え、手首に鎖の抵抗が重くのしかかる。鉄の鎖、錆の臭い。これ以上進めない位置は、鉄格子に届かない距離に設定されていた。
「…今は、ここまでしか動けないが」
 サスケはナルトに笑みを向けた。
「夜にはここを出て、病院に逆戻りだ。刑が執行されたあとには手錠も外される」
「でも、お前…っ、刑が執行されたら…!」
「まあ…歩けなくはなるな」
 サスケは思案する素振りで首を傾げてから、合点がいったように「ああ」と声を上げた。
「手首まで落とされないのは、自分で車椅子を動かしていいってことか」
「サス…、サスケ…ッ!」
 ナルトの声が鼻にかかる。
「…何だお前。どうした? ほっとしたのか」
「なっ…なに、」
「こんな軽い刑で済んだのはお前らのお陰だな。なあ、ナルト。ありがとう」
 白々しい科白を口にして、可笑しくて顔はどうしても笑ってしまう。
 どうせ、自分のせいだとナルトは思うのだろう。自分が連れ戻したせいだ、と。確かにサスケは里へ連れ戻されたが、ナルトに引きずられて戻った訳ではない。それでも、あたかも自らの所業でサスケの足が切り落とされるかのように思っているのだろう。
「ご…ゴメン、サスケ…っ」
 果たして、予想通りの科白が間近に聞こえた。
「何謝ってんだ。これで終わるんだぜ」
「お、俺は…ッ、こんなこと、望んでた訳じゃ、ねえんだ…!」
「…こんなこと?」
 今更ながらサスケは呆れた。だが、そういえばサスケがこの牢に入っていること自体、ナルトには不本意だったのだと思い出す。
「なあ、極刑じゃないってだけでもスゲエのに、あれだけの条件で自由なんだぜ。お前は何が…」
「自由って何だよ!」
 喚き声が牢に谺した。
「足切り落とされて何が自由だ! 名前捨てられて写輪眼研究のモルモットにされて、それの何が自由なんだってばよ!!」
「ナルト」
「お前、チャクラ封じられてねえんだろ!? 何で逃げねえんだよ、お前ならこんなとこから逃げんの簡単だろ!?」
「ナルト、俺を試してんのか」
 サスケは静かに口角を上げた。ああまるで子供だ。はっと口を噤むのを待って、サスケは続けた。
「…お前が俺を信じられないのは分かる。俺はそれだけのことをした」
「サスケ、違…っ」
「何度だって試していい。俺はここにいる。もう二度と里を抜けたりしない。な? ナルト」
 幼子に言い聞かせるように、穏やかに言葉を紡ぐ。側には看守か守衛がいるのだ。彼らにナルトを疑わせるようなことは、避けなければならない。同時に、サスケが変わらず模範囚であると知らせなければならない。大罪を犯したサスケがおとなしく拘束されているのは、里の英雄・ナルトに捕まったからなのだと知らせなければならない。
「あんまり騒ぐなよ。な?」
「サスケ…ッ、俺は…」
「お前、罪人一人をこんなに気にかけてたら、火影なんか務まらないぜ」
「違う、サスケ…!」
 特別なんだ、と絞り出すような声が聞こえた。特別。兄弟みたいに思っているという話だろうか。サスケは笑った。
「俺はお前の『特別』か?」
「そう、だ」
「特別だと、罪はなかったことに出来るのか?」
「…っ」
「そんなんじゃ尚更、火影は務まらないんじゃないのか?」
 しっかりしろよ、と囁くと、湿った呻き声がそれでもまだ「ゴメン」と言った。
「俺…っ、もう一度カカシ先生にかけあってみる」
「おい…」
 判決はカカシが一人で決めたものではない。火の国の意向を踏まえた上で、里の上層部が会議で決めるものだ。カカシ一人にかけあってどうにかなる問題ではないことすら気付いていないのだろうか。
 ふと、鉄格子の軋んだ響きが聞こえたかと思うと、頬にナルトの指先が触れた。囚人との直接的な接触は認められていないはずだ。だが監視はそれを咎めない。
「ナルト…?」
「諦めねえから」
 それは掠れていたが、きっぱりとした色を持っていた。


 やっぱりサスケは、許していないんだ。
 全ての防御を放棄して、里にいることで里に復讐している。ナルトに対して「お前のために」と言いながら、「お前のせいだ」と言っている。優しく「負けた」と言い、贖罪のように拘束を受け入れ、判決を甘受する。ナルトの前で見せる態度は全て本当ではないのだ。
 ナルトはそれでも、滲んだ涙を振り払った。
 サクラの助けを借りて影分身でここへ忍び込んだ時、ほんの僅かに見え隠れしたものをナルトは信じたかった。
 それに、自分で言ったのだ。戻ってきてくれてありがとう、と。サスケがここにいること、大事なのはそれだけだ。鉄格子から伸ばした腕、指先がぎりぎり届く距離。
 あと少し。
 あと、少し。
 

*     *     *

 
「お帰りなさい、サスケ君」
 ナルトを追って執務室を出たサクラだったが、思い直してそのまま病院へ戻っていた。夜にはサスケがそこへ来るのだ、準備をしなければならない。大慌てで病室を整え、以前サスケがそこにいた時の配置を再現した。ほとんど目を閉じているサスケだ、慣れた位置関係の方がいいだろう。
 サクラは、カカシが期待している方向を理解した。それならナルトは放っておいた方がいい。多少暴れるぐらいなら抗議行動の範囲と弁護することも出来る。
(本当に、牢を破って連れ出したりしない限りは、ね)
 サスケに出る気がないとしても、ナルトが力ずくで攫おうとするなら、不可能ではないところが怖い。だが、いくらナルトでも、そんな手段でサスケを助け出しても状況が悪くなるばかりだ、ということぐらいは分かっているはずだ。
(…分かってる、はず…よね…?)
 そこで、サクラはサイとシカマルに連絡を送った。サイは任務明けで戻ったばかりだろうが、ナルトがやりすぎないように付き添いを依頼する。シカマルにはただ一言「派手に抗議活動して」とだけ送っていた。彼ならそれで充分に意図を汲んでくれる。
 サイからはすぐに返事が届き、留置場から出てきたナルトと合流したことと、以降の予定をサクラは知った。サイはサスケについて半信半疑のようだが、ナルトがどれほどの思いで追い続けたかを知っている。ナルトの立場が悪くなるような事態は避けられるだろう、とサクラは期待した。
 そして、夜。
「…相変わらずの匂いだな」
「え?」
「消毒液」
 無用の混乱を避けるため、病院の裏口からひっそりと戻ったサスケは、お帰りなさいと言うサクラに笑いかけた。
 両脇を固め、先導する一人と後方を警戒する一人。四人とも特別上忍で、更に半径十メートルを囲むように配置されているのも上忍だった。夜中だというのに留置場の周辺は人だかりが出来ていたようだ。だが基本的に、サスケとの面会が許されているのはごく一部の人間だけだ。サスケが外へ出てきても里の者は無闇には近付けず、取り巻くようにして病院への道行きをついて歩く。病院の裏口で待ち受けていたサクラは、その様をまるで百鬼夜行のようだと思った。
(…笑えないわね)
 サスケは両側から腕を取られた状態で、しかし自力で歩いていた。腕を掴まれているのは、歩行の補助のためではない。今まで模範囚であったサスケも、重い判決に翻意する可能性を否定できないせいだ、とサクラは思う。それはあくまで対外的な理由でもあることをも、サクラは理解していた。本当に翻意が心配なら、チャクラを一時封じて拘束衣を着せ、箱にでも詰めて運べばいい。それをせず、人目を避けるため夜間に移送すると言いながら、あえて人目につく時間が長くなるように本人に歩かせる。痩せ衰えたサスケが目隠しをされ、手錠の腕を引かれて歩かされる姿は、人々の同情を買うだろう。無論サスケに厳しい目を向ける者も少なくはない。だが、両足を切断されるサスケが自分で歩く最後の姿かも知れないのだ。カカシのやり方は一つ一つは大した意味も持たないが、じわじわと人心に働きかける術はまさに『忍ぶ術』だった。
「すぐに慣れるわよ。私だってそうだもの」
 病院の警備担当と書類のやりとりをする特別上忍は、明るい声音のサクラを一瞥した。
「さ、手続きなんか待たなくていいから、サスケ君にはお風呂に入って貰います!」
「…風呂?」
「無精しないで、ちゃんと隅々まで垢を落としてね! 不充分と判断した場合には私が洗い直しますから、そのつもりで…。あっ私に洗って欲しいなら一緒に入るけどどうする?」
 冗談めかして言えば、心得たようにサスケも顔を顰めて一歩後ずさる。
「…自分で洗う。心配するな。覗きもするな」
「の、覗きって…。いやあねえサスケ君ったら!」
 そんな冗談まで言われるとは思わなくて、サクラは一瞬言葉に詰まった。サスケの体で知らないところなど、サクラにはない。外側だけでなく、内臓や筋繊維にだって触れた。アハハと笑ってみせて、サクラはサスケの腕をそっと引いた。
「脱衣室まで一緒に行きましょ。包帯はそこで取ってあげる。浴室では目を開けていいから、ちゃんと洗ってね」
 周囲にも聞こえるように言う。浴室は広くはなくて、監視は脱衣室と外からになる。れっきとした監視の方こそ覗きのようだ、サクラは複雑な顔でサスケを見上げた。分かってる、サスケはため息混じりに答えた。
 判決が出る前と、様子には何ら変わりがない。サクラは少し俯いて歩いた。サスケが目を隠していることに安心するのは、これが初めてではなかった。

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