ゲシュタルトロス・フクス:11

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 たぶん留置場にいる、とサクラが伝えてきた通り、ナルトはそこにいた。サイは受付でそれを確認して、そこで待つことにした。
「まあ、気持ちは察するよ」
 受付の忍は、ナルトがここへ飛び込んできた時の尋常ではない様子に同情的だった。先日、ナルトの深夜の侵入に責任を問われたばかりのはずなのに、とサイは首を傾げた。
「…サスケ君は、ここではどんな具合なんですか?」
 サイがサスケの抜けた補充で彼らの班に組み込まれたことは、今では大体の者が知っている。受付の男は皮肉に笑って答えた。
「おとなしいものだよ。中で術を発動させればセンサーが反応するようになっているんだが…彼がここに入ってから、一度たりともその警報が鳴ったことはないよ」
「模範囚…ですね」
「木ノ葉を潰そうとしたくせに、結局木ノ葉を救ったんだ。帳消しにはならなくても、もう少し軽い判決が出ると思ったんだけどなあ」
 暢気な感想だ、とサイは思う。『根』では、機を窺うのにしおらしくふるまうことなど常套手段なのだ。サスケがそうではないと、何故簡単に信じられるのだろうか。
 確かに、土壇場でサスケはナルトを助けた。結果的に木ノ葉を救ったことにもなる。だが、たったそれだけでサスケがこの先も木ノ葉に逆らわないことを、信じてしまうのか。
「あいつはそのうち失明するらしいじゃないか。足なんか切らなくても、忍として動けなくなることに変わりはないだろうに」
「…そうですね」
 サイは同意してみせた。
 サスケに対する疑いは、忍として当然持つべきものだとサイは思う。だが、サイ個人としては、別なのだ。ナルトが信じているなら、それを信じる。
「あ、上がってきたよ」
 受付の男がモニターを見て言った。振り返ると、揺らがないまなざしがサイに近付いてくるのが見えた。


「どうするつもりだい?」
「カカシ先生にもう一回話してみる」
 経緯を聞いたサイの問いに、ナルトはきっぱりとそう答えた。
「…そうだね。その話だと、ちょっと様子が変だ」
「だろ? 急に突き放した感じでさ、おかしいってば」
「変と言えばサスケ君も変だし。君だけでも元に戻ってくれて良かったよ」
「え?」
 サイはナルトが記憶喪失だった時と、記憶を取り戻してしばらく鬱ぎ込んでいた時を思い出して小さく笑う。
「これは私見だけど」
「し、しけん?」
「ボクの個人的な意見ってこと。サスケ君は、君のところに戻りたかったんじゃないかな」
 ナルトはぽかんとサイを見つめた。
「な、何でそう思うんだってばよ!?」
「だって、君が記憶喪失だった時には彼、すごく君に対して献身的だったよ。態度はアレだけど。君に記憶がないことにホッとしてたっていうか」
 直接その風景をサイが見たのは数少ない。だが、サクラから聞く話と総合すると、そう思えるのだ。
「今は、記憶の戻った君にどう接していいのか分からないって感じかな? 何か距離を取ろうとしてるように見えるよ。照れている、って言ってしまうのは簡単すぎると思うけど…」
「そう、見える…のか?」
「ボクにはね」
 忍として、サスケの態度に別の意図を汲むことは出来る。それでも、サイ個人の感想としてはそんなところだった。
 サイはサスケとは親しい訳ではなかった。大蛇丸のアジトで初めて見た時には、知らず恐怖したものだ。だがサスケは、木ノ葉を襲撃したくせにナルトを殺さず、助け、人柱力として攫うこともしなかった。彼もぼろぼろだったので物理的に不可能だったと言うことも出来るが、それならここで記憶を失ったナルトを連れ出して里を逃げればいいだけの話だったのだ。
 それを、サスケは、しなかった。
「…ありがと、だってばよ、サイ」
「? どういたしまして」
 緩やかに笑うナルトを、サイは不思議そうに見返した。
 

*     *     *

 
「…なんか、込んでるってば…?」
「みたいだね」
 辿り着いた先は、その時間帯にしては人が多かった。任務報告で込み合うのはもう少し先の時間だ。ざわざわとさざめく人々は、見れば忍の者ばかりではない。里に住む一般の人間が多く目に付いた。
「ナルト君…!」
 人込みの中から、知った声が近付いた。
「ヒナタ!」
「あ、あの…、サスケ君のこと、聞いて、私…」
 判決の内容を思い返したのか、ヒナタの顔がみるみる青ざめる。ナルトは肩を支えて壁際へ誘導した。
「今日は休みだったの?」
 この時間に里にいるということは、サイのように時間の不規則な任務から帰ってきたばかりなのか、それとも元々休日だったか。サイに訊かれて、ヒナタは「ええ」と小さく頷いた。
「い、今からでも…減刑できないのかなって、思って…」
「それでカカシ先生に会いに?」
「うん、でも、すごく人が多くて…順番待ちで、まだ…」
 ヒナタは胸の前できゅっと手を握り締める。ナルトは優しい気持ちでそれを見つめた。
「ありがとな、ヒナタ」
「えっ…」
 人前に出ることが決して得意ではないヒナタが、減刑嘆願のために火影代理に面会を求めた。それがナルトには嬉しかった。ヒナタは一瞬ナルトを見つめて、しかしすぐに俯いて首を振る。
「い、いのちゃんが…」
「え? いの?」
「その…直接、抗議した方が、いいって…シカマル君から言われた、って」
 シカマル?
 意味が分からず、ナルトは思わずサイを見た。サイはヒナタを見下ろして「なるほどね」と頷く。
「な、なにが『ナルホド』なんだってばよ」
「分からない? 目に見える抗議をした方が分かりやすいってことだよ」
 署名はいくら大量に集めたところで、所詮名前の羅列に過ぎない。嘆願書は文章という形になっている分、訴えかける力は大きい。だが、それを見るのはごく限られた人間のみだ。
 比べて、実際に出向いて抗議するのであれば、人目に触れる。里の上層部だけに見えるものではない。行動を見て触発される人間も出てくる。これだけの人間が減刑を望んでいると、周囲に知らせることになる。
 サイの説明を、ナルトは口を開けたまま聞いた。
「そ、そうなの…。それでね、デモみたいに集団で押し掛けるんじゃなくて、あくまでも個人個人で行け、って…カカシ先生のところだけじゃなくって、他の上役の人たちのところにも行けって…」
「そうだね。集団で押し掛けるのは、会って貰えなくなってからだ」
「な、なんで?」
「大勢で押し掛けてわいわい文句を言っても、黙って聞かれて最後に『善処します』で追い出されるのがオチだよ。それより、個々に面会を求める方が、訴えかける内容はちゃんと聞いて貰えるよね。それに時間もかかる。上役たちは日がな抗議の対応に追われ続けたと感じるだろう? たぶんそれが大事なんだ」
 草の者が民衆を煽る手段としても用いる手法だ。上役たちもすぐにそれは察するだろう。面会に時間を割けなくなり、抗議者を追い返さざるを得なくもなる。その時に、不満が爆発した格好で、集団が押し寄せるのだ。上役たちがそれを無視してもいい。抗議が殺到している様子は、この里に忍び込んでいるであろう他里の草が本国へ知らせる。
「要は、判決に対する抗議で里が大騒ぎになればいいんだ」
「サイ、お前、…スゲエなあ…」
 ナルトとヒナタは感心してサイを見つめた。サイ自身は、何が凄いのかよく分かってはいなかった。


 結局、ナルトとサイの順番が来る前に時間切れとなった。サイと別れ、ナルトは星空の下を病院へと向かう。サスケは既に病院へ移送されているはずだった。
 面会は、ナルトは禁じられていない。
 場所が病院でもそれは変わらない。
 ただ、もう夜だ。面会時間は終了している。ナルトは受付を通り過ぎ、ナースセンターへ足を向けた。今日からサスケがここへ入るのであれば、サクラはしばらく泊まり込むだろうと憶測をつけたのだ。サクラの所在を尋ねると、ナルトを知る看護師が「例の病室に」と教えてくれた。
 記憶喪失だった自分が通ったというその病室を、ナルトは知らない。部屋番号を聞いて訪ねてゆくと、扉の前には男が二人立っていた。
 見張りだ。
 ナルトは小さく頭を下げ、ノックした。はい、とサクラの声が聞こえ、ナルトは遠慮なく扉を開けた。
「ナルト!」
 サクラはナルトが足を踏み入れるのを咎めない。見張りはその様子に、ナルトを制止することはなかった。
「あんた、今までどこに行ってたの」
「カカシ先生のとこ。でもスゲー人だかりで、先生には結局会えなかったってばよ」
「…ふうん」
 目に隈を作ったカカシを思い出して、ナルトは頭を掻く。この先、恐らくは更に睡眠不足に陥るだろう。
 ナルトはベッドの上のサスケを見た。目に包帯は巻かれているし、手錠もかかっている。だが囚人服ではなく、薄水色の病院服を着ていた。
「…サスケ」
 鉄柵越しではなくサスケに近付くのは、影分身で牢に忍び込んで以来だ。ベッドに腰掛け、こちらを向くサスケの隠された目と見合う。
「いろんな人たちに会ったってばよ。里の人たち、カカシ先生のとこに押し掛けてきててさ、お前の刑は重すぎるって。俺が先生に言いたかったこと、全部言われちまったかも」
 サクラは心電計を片付けながら、口を挟んだ。
「こっちも大変だったのよ。里の人たち、たくさん来てくれて。まあ、面会は出来ないし差し入れも受け取れないんだけど、ちょっとした騒ぎだったんだから」
「そっか…。ゴメンな、サクラちゃん。何も手伝えなくて」
「いいのよ、あんたはいない方が捗るんだから」
 ヒデエ、と乾いた笑いを漏らしてナルトは下を向いた。
 何もしていない。
 何も出来ていない。
 何が出来るのかすら分からない。
 膝の上で拳を握り締めた時、がちゃりと小さな音がした。サスケの手錠の音だと気付くのと同時に、頭を撫でられた。
 サスケにだ。
「…サスケ?」
「何落ち込んでんだ」
 笑みを含んだ声、ナルトは思わずサスケを見つめた。サクラに『不要』と言われたせいではないことは、お見通しのようだった。小さい子供にするような仕草に、サクラも驚く。
 何かが沸き上がって、ナルトはサスケを抱き締めた。ちょっとアンタ何やってんのよというサクラの声は、ナルトの耳には届かない。何でサスケに慰められてんだ、何で俺の方がサスケに慰められなきゃならねえんだ。
「おい…」
「なんも落ち込んでなんか、ねえってばよ」
「そうかよ」
「ぜってー減刑させんだからな!」
「…却って重くなりそうだな」
「余計なことすんなって言いてえのかよ…」
「無茶するなって言ってんだ」
 サスケの穏やかな声は、普通であれば心を宥められる類のものかも知れない。だが今それは、ナルトを苛み急かすのだ。痩せてしまった体を抱き締め、背を撫でる。すり寄った体から石鹸の匂いがして、ナルトは深く息を吸い込んだ。二人の体の間でサスケの手がシーツを掴むのに気付いたのは、サクラだけだった。

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