12
「言っておくけど、これで何かあったら私が責任を問われるのよ。分かってるわよね?」
「分かってるってばよ。ありがとな、サクラちゃん」
ナルトはサクラに念を押されるのを、聞き流すことなく受け止めた。留置場へ侵入する際にも同じことを言われている。あの時には犯罪の片棒を自ら買って出たサクラだが、今回は違う。
違うと言えば、今回は犯罪ではない。
ナルトも病院に泊まり込む、その許可をサクラから貰ったのだ。休憩室も仮眠室も、緊急の事態に対応できるように入院病棟にもある。
ただ、一部の上忍から多少の警戒感を抱かれている自分を、サスケのすぐ側に置く状況となる。ナルトがサスケを連れ出そうとしたりすれば、その責は許可を出したサクラにも及ぶのだ。もちろんサクラには、ナルトがそんなことはしないと分かっている。だからこそ許可したし、万が一サスケを狙う輩が現れた時には頼もしい戦力となることを期待してもいる。
「なあ…サクラちゃん」
分けて貰った毛布を抱えて、ナルトは視線を床に落とした。
「…カカシ先生、何で急に厳しいこと言ったんだろ。ずっとサスケの味方だったのに」
「…」
サクラは一瞬開きかけた口を閉じ、じっとナルトを見つめ、そして同じように床を見る。
「先生は、私たちの先生だけど、今は火影代理でもあるのよ。サスケ君を庇うのにも限界があるんじゃないかしら」
「限界…、か。そりゃあ俺だってさ、ただで済むとは思ってなかったってば。でもさ、サスケが木ノ葉を潰そうとしたのには理由があったんだ。全面的に木ノ葉が正しいって、誰にも証明できねえのに…」
「そうね…。でも、私たちは木ノ葉の忍だもの。木ノ葉の決定に逆らえば反逆罪よ」
木ノ葉の決定、だがそれは火影を含む上役の決定だ。ナルトは唇を噛んだ。全て一存で決められないなら、一体何のための『火影』だと言うのだろう? いや、ナルトにも分かっている。火影は木ノ葉の里の代表であって、王ではない。人々から選ばれた火影は、同じく人々の声の代弁者として選ばれた、上役たちの意見をまとめる存在なのだ。
だが、それでも。
「納得いかねえ…!」
ナルトは毛布を握り締めた。
里の人々の多くが、サスケに下された判決を『重い』と感じていることに間違いはない。減刑嘆願の署名も届いていた。その減刑の末の判決と言われても、非道に過ぎるとナルトは感じる。それは恐らく、サスケに近いナルトやサクラだから特別そう感じる訳ではない。でなければ、あんなに大勢の人間が執務室に押し掛けることはないのだ。
「…抗議をすることは罪じゃないわ。合法の範囲で訴えかけるのよ」
生ぬるい、とナルトは思う。
判決を目にした時こそサクラは取り乱したが、執務室で別れたあとの彼女は既に常と変わらない。本当はサクラだって辛いはずなのだ、と分かっている。なのにナルトは、冷静なサクラに苛立ちすら感じるのだ。
「…サスケ君は判決を受け入れてる。それだけでも充分、木ノ葉に逆らう気がないっていうことを証明してるのにね…」
サクラの声が弱気に聞こえて、ナルトはあえてそれには答えなかった。
「…明日は、朝イチで先生のとこ殴り込みに行ってくるってばよ。そんで、他の上役のとこにも行ってみる。今は…それぐらいしか思い付かねえや」
自嘲に歪む顔を見ても、サクラは何も言わなかった。
* * *
きい、とも扉の音を立てず侵入してきた気配に、サスケは目を覚ました。
いや、完全に眠っていた訳ではなかったから気付けたのだ。身じろぎもせず様子を窺う。不意に空気が動いて、侵入者がその存在をサスケに知らせてきた。完全には殺さない足音。夜気は冷たく、遠く梟が鳴く。
「…サスケ」
ナルトの声で囁かれ、サスケは警戒を解いた。
たゆらだ。
顔を僅かに声の方向へ向けるのと同時に、首に触れられた。触れる、というのは正しくない。たゆらの左手が、喉を覆うように首を掴んだのだった。
力は込められていない。
労るような触れ方だった。
「足がなくなれば、忍は死んだも同然では…ないのですか」
「…判決を聞いたのか」
「…注意していれば、外の様子は大体分かります」
微かにベッドが軋み、彼がそこへ腰掛けたことが伝わる。だが、左手は首にかかったまま。サスケはそれには構わず、眉を顰める。どういうタイミングで彼はナルトに弾き出されるのだろうか。
「お前、毎晩その状態なのか?」
「いいえ。三度目です」
三度目。
一度目には牢の中のサスケに助けを求めてきた。では、二度目は? 次の晩だろう。ナルトが影分身で牢に侵入してくる前夜。三度目まで日を置いている理由が分からない。ナルトの精神的な変化が影響しているのだろうか。
「ナルトは…檻にいるかも知れねえな」
「そのようです」
たゆらは何の感情もなく言った。
「二度目の時、己が檻に戻ったら、巻物を見た形跡があった」
「…お前の記憶か」
「はい」
やはりナルトはたゆらの記憶を見たのだ。それを、記憶喪失中の自分の記憶だと勘違いしている。
「…それで、何をしに来た」
病院内部は監視カメラが設置されているし、扉の外と敷地には警備という名の監視員もいる。わざわざ問題を起こして良いことはない。それでなくとも『ナルト』は留置場への侵入罪で罰則を受けていた。たゆらがそれを理解していないはずはない。
「…もし、あなたが」
囁く声が近付いた。
「望むのであれば」
じわり、と首に力がかかった。彼が体重をかけたせいではない。明らかに、握力がサスケの首を握っていた。血管は押し狭められ、血流が鼓動をサスケの頭部へ伝える。次第に顎の辺りからこめかみまでが熱くなるが、呼吸を妨げられる力ではない。
彼は何と言ったか。
足がなくなれば、忍は死んだも同然。
「…よせ」
短く言えば、たゆらはその力を弱め首から手を離した。
確かに、足をなくせば忍としては致命的だ。歩けず、走れないということは、攻撃を回避するのは至難で、そもそも移動に支障を来す。手は残るのだから印を結べば術を発動させることは可能だが、単独での行動は無理がある。もはや忍として任務に出るなどということはないが、写輪眼を欲する輩に襲撃を受けたりした場合、サスケ一人で撃退するのは難しいと認めざるを得ない。
それは即ち『死』だ。
たゆらの手は誘惑だった。ほんの少し頷けば、彼の手はサスケに終わりを齋すのだ。いっそ判決が処刑であったなら楽だったのだ。いや、そもそもナルトを助けたあの時に放っておいてくれたなら。
だが、現実にサスケは今、生きている。
監視だらけの病室で、『ナルト』に殺される訳にはいかなかった。
「己には、あなたが…分からない」
呟きは以前と同じ科白だった。サスケは笑った。そんなものは自分にだって分からない。分かったつもりになって木ノ葉を襲撃した。だが結局、いつだって迷ってばかりなのだ。迷いを断ち切り、決断した道を突き進むしか出来なかった。断ち切ったつもりでどこかが繋がったままだった。振り上げた拳は振り下ろすしか、サスケは知らなかった。引っ込みのつかないところまで来て、ようやくそれを自覚した。
「あなたは優しい」
首を離れたたゆらの左手が頬を辿る。
優しい?
優しくなどない。自分の都合で行動しているだけだ。たゆらは何かを勘違いしているのだろうか。
「…俺はお前に何もしない。それでもまだ俺に従うのか?」
「己は既にあなたに下った。違えることはない」
声に逡巡はなかった。
不憫な生き物だ、と初めてサスケは思った。自分が九尾だと知り、記憶もないくせに写輪眼に従うのだ。もし記憶を取り戻しても従うというのであれば、サスケは使うあてのない最強の手駒を手に入れたことになる。
包帯のラインを辿る指先が、そのまま髪へ触れた。狐だと思うと、身繕いでもされている気分だ。ふと、その指先が包帯止めにかかる。
「…たゆら」
咎めると、何事も起こさず指先は離れた。
代わりにベッドが軋んだ。枕元に圧がかかり、見えないというのに覆い被さる圧迫感を確かに感じる。
「ナルトには見せるのに、己には…」
駄目なのですか。
吐息が口元にかかる。声に感情は見られない、だが懸命に包帯の下の目を見つめているのだろう。サスケの目に執着する獣は、ナルトに嫉妬するのか。
「…サスケ」
吐息の温度さえ伝わる至近距離。
すり寄りたいのを堪えているかのような。サスケは毛布から手錠の腕を出し、引きかけたたゆらの頭をその輪の中にくぐらせた。そのまま抱き寄せると、たゆらは戸惑ったように身じろぐ。急に可笑しくなってサスケは笑った。
「こんな真似は…ナルトには出来ねえな」
「…」
全く気まぐれとしか言いようのない行動だった。だがたゆらの体からは緊張が抜けた。温かい、体の重さが心地いい。頭をすり寄せられて、その髪を背をまさぐってやる。手を動かす度に鈍く鳴る鎖が不粋だった。ああ、と漏れる吐息がサスケの耳を擽った。
「サスケ…」
ふと顔を上げるたゆらが、サスケの腕を首に引っかけたまま再び見下ろしてくる。鼻に何かが当たる。たゆらの鼻だと気付いたのは、唇を舐められた時だった。
「…」
ちろり、と窺うように舌先が掠める。何をされたのか、一瞬理解できなかった。黙っているともう一度ぺたりと舐められ、次いで下唇を食まれる。
行為のそれだけを見るのなら、子狐の甘えた仕草とも受け取れる。だが、その吐息の甘さは親愛を超えていた。サスケは、しかし咎めなかった。たゆらのしたいようにさせた。薄く口を開くと、舌はおずおずと歯列をなぞった。技巧と言えるもののない、たどたどしい口付けだった。
「…たゆら」
項の辺りを緩く掻いてやりながら、サスケは奇妙にも嫌悪感のないことに気付く。
「マダラには従うな」
唇が離れた。唾液に濡れた唇が、夜気にひやりと熱を奪われる。
「マダラ…?」
「うちはマダラ」
たゆらには覚えのない名前、だが九尾はマダラを知っている。
「今はいない人間だ。だが…いずれお前の前に現れる。もしかするとお前の記憶も蘇らせるかも知れねえ。それでも、奴の言うことには従うな」
「…はい」
「何があっても、お前はナルトの檻にいろ」
「はい」
尾獣を抜かれた人柱力は死ぬ。言外に「ナルトを守れ」と言ったことは、たゆらには正確に伝わった。サスケはゆるりと微笑んで、たゆらの首を引き寄せた。