ゲシュタルトロス・フクス:13

13
 
 
 ああ───また。
 この夢だ。
 封印の檻に立ち尽くして、ナルトはぼんやりと周囲を見回した。前回と同様、檻の内側だ。足元は、しかし床の見える面積が広がっている。夢の中で時間が進行しているかのようだった。
 だが、やはりそこにはナルト一人しか存在しない。封印の檻のようでいて、やはり夢なのだと結論付ける。
 そうだ、そこには『記憶』があった。自分がナルトとしての記憶を失っていた時の出来事、今は頭から抜け落ちているその間の出来事。壁際に整理された場所を見れば、あの赤い巻物が前回と同じように積まれている。
 何故記憶が『封印の檻』の中にあるのだろう、何故夢の中でしかその記憶を辿れないのだろう。忘れることなど望んでいないというのに、忘れることで記憶喪失から回復するのは、いかにも理解しがたい。それにサイが言っていたように、自分が記憶喪失だった間、サスケは気にかけてくれていたようだ。仮にその時、記憶がないことにサスケが『ほっとしていた』というのが真実なら? あの戦いの場で、或いはそれまでで、二人の間に何かがあっただろうか。ナルト自身には心当たりはない。何かあったとするのなら、記憶喪失だった間のこととしか思えない。
 吸い寄せられるように近付いて、そのうちの一つを手に取った。
 細かい文字の羅列、目を近付けると───。
「え…っ!?」

 くぐもった甘い声を引きずり、髪を打ち振るサスケの姿が目に飛び込んだ。
 

*     *     *

 
 衝撃に巻物を取り落とす。
 何なんだ、これは。
 足元に転がった巻物はさらりと広がって、細かな文字はほとんど模様のようにしか見えない。ふと、その模様が途切れていることに気付く。
 いや、途切れているのではない。
 ナルトの見ている前で、その先へ文字が増殖してゆく。まるで生き物のようにさえ見える。動悸が治まらない。何て夢だ。違う、何て記憶だ。一瞬見た痴態が頭から離れない。俺はサスケに何をしていたんだ。はだけられた服は昨夜見たのと同じ病院服だった。これは夢なのか? かつての記憶ではなく、ただの夢、願望なのか? それとも本当に、監視任務をしていた時の記憶なのか? 一歩後ずさったまま、確かめるのが怖くて巻物を拾い上げることが出来ない。なのに、立ち尽くして見つめていると、サスケの声が耳に響いた。
『う、あ…っ』
 ナルトはびくりと肩を戦慄かせた。
 押し殺したような声は、苦痛を堪えるようにも、悦楽に耐えきれないようにも聞こえた。ナルトは更に一歩後ずさった。踵に古い巻物が当たる。以前ここで見た記憶を思い出す。写輪眼でなくてもいいから目を見たいと言う自分の手、サスケの頬の輪郭を包むその手。
 頭に血が昇る。
 動悸が止まらない。
 もしこれが真実だとして、それを忘れた自分に対してサスケは何を思うだろうか? いや、そもそも何故サスケは記憶喪失の自分にこんなことを許しているのか?
 いや、そうではなく───。
 何故自分がサスケにこんなことを。
 何故。
『あ…ぁ』
 引き攣ったような、切羽詰まったサスケの声。息遣いさえ耳元に聞こえる。熱い吐息、ひゅうと吸い込む空気の喘鳴。首の後ろに鈍い金属の音。握り締めた掌はじっとりと汗が滲んでいた。
(サスケ)
 引きずられるようにナルトの呼吸も早くなる。
 これは夢だ。
 サスケがこんなことを許すはずがない。何もかもを諦めているとしても、何の矜持もなく男に体を明け渡すはずが。たとえ大蛇丸に体を奪われることになっても構わない、と言ったものとは訳が違う。
(でも、もし)
 これが現実にあったことなら、サスケはなかったことにしたいだろうか。写輪眼でなら、或いはこの記憶を消してしまえるのではないのか。自分が記憶喪失から回復する際にはサスケの写輪眼がそれを見ていた。ありえないことではない。
 いや、だが、それにしては。
 サスケはナルトに対して無防備に過ぎる、気がする。抱き寄せられようと顔を手に包まれようと、何の警戒心も感じ取れなかった。
『…ぃ、あ…ッ』
 夢だ。
 ナルトはきつく目を瞑った。下半身に熱が集まっているのを認めざるを得ない。唇を噛む。拳を強く握る。夢だ。ナルトには伴侶と呼べる相手はいない。体の欲をため込みすぎた結果なのかも知れない。それが何故サスケを抱く夢なのかは分からない。目を閉じているというのに、不意に腕の中にリアルにサスケの体を感じてナルトは狼狽えた。欲しい、という感情も俄には信じられない。何しろ相手はサスケだ。だが、そう、サスケなのだ。取り戻したくて追い続けた。欲しい。何故。何故?
(…サスケ)
 巻物に足を取られてよろめく。それでも目を開けるのが怖くて、そのまま膝をついた。痛いほど張り詰めたものがその存在を主張する。欲しい、サスケが。
『あ…、ぅあ…っ』
 余裕のないサスケの声、必死に抑えようとしているようだが、突き上げられる衝撃で綻ぶ口から漏れて出る。
(サスケ…!)
 夢なら許されるだろうか。夢でも許されないだろうか。耳を塞いでも甘い声は直接脳に響く。ベッドの軋む音に紛れて、体を揺さぶる度に微かにぬちゃぬちゃと聞こえてくる水音。繋がっている。サスケと体を繋げているのだ。
『…サスケ』
 自分の声まで重なる。
 じっとりと湿った掌を開き、恐る恐るそれを見た。自分の手、だが笑えるほどに震えている。膝をつき座り込む、自分は一人だ。なのに体はサスケと繋がっているかのようで、ああやはり夢なのだとナルトは顔をくしゃりと歪めた。
『あ、あ、っや…待…ッ』
 再び目を閉じれば、うわずったサスケの声が鮮明に耳を刺激する。欲しい。もっと。自分の欲を止められない。
(…サスケ…!)
 荒い呼吸に乾く喉と裏腹に、舌の根からは唾液が滴る。急に、がくんと首が重くなった気がして両手を床に着いた。はっと気付くと、落としたままの巻物が目の前にあった。ナルトはぼんやりとそれを見つめた。固い床に着いていたはずの手と膝は、見覚えのあるベッドの敷布の上にあった。そして首にはサスケの腕が巻き付いて、包帯の解けかけた顔が至近距離にあり、互いの荒い呼吸をぶつけ合っていた。
 その唇が、濡れて色づいている。
 ああ、それが、欲しい。
 あと少しの距離を、身を屈めて詰める。察したサスケが腕に力を込め、ナルトを引き寄せた。喰らうように口付ける。サスケを穿つ体の律動で、唇は唾液に滑った。舌を探り誘い出し、夢中で吸い、じわじわと溢れる唾液を渇く喉へ送り込む。
(ああ)
 何故、と思う何もかもが繋がった気がした。こうしたかった、こうなりたかった、求めて、求められたかった。あまりにも幼稚な感情だった。気持ちがいい、繋がる場所はきつくナルトを絞り上げるというのに、奥はやわやわと絡みつく。夢だからか、本当にサスケの体はこうなっているのか。体勢の苦しさに唇を離せば、傷跡と縫い合わせられた跡の残る白い体が目に入る。痛々しく、しかし確かに呼吸に上下する、その体。生きている、サスケは生きてここにいる。胸に何かがせり上がって、ナルトはその傷跡に舌先を這わせた。微かな凹凸、夜気に冷やされる汗の味。
「…サスケ、」
 呟いて、掠れた声がやけにはっきりと聞こえて驚く。自分の寝言で目覚めた時に似ていて不安になった。ああ、と鼻にかかったサスケの声が切なげに届く。
(サスケ?)
 手錠の腕で必死に掴まるサスケを思うさま突き上げる。ずるりと滑り落ちる足は、既に力など入らないのだろう。腰骨から腿へ掌を這わせても、びくびくと痙攣するだけで自力では持ち上がらないようだった。
「は、…あ、あぁ…、」
 ナルトがその腰を抱え直すと、ぐちゅりと音がして一層深く繋がり、サスケが耐えきれない息を吐き出す。中はひくりひくりとその刺激をナルトに伝えてくる。気持ちがいい、気持ちがよかった。
「ん、ん…っ、ん、あ、ぁ…っ」
 唇を噛んだり、堪え切れずに吐息に声を乗せたり、サスケの様子は内部の動きと相俟ってナルトを煽る。必死に背に掴まり、首に掴まり、ナルトの動きに合わせて殺し切れない声を上げた。
(サスケ…?)
 ああ何て都合の良い夢だろう。全てをナルトに預けて悦楽を貪るサスケの姿は、痴態と言うのに相応しいはずなのに、まるで神聖だった。深々と抉り、ぎりぎりまで引き抜き、抽挿は次第に早くなる。訳の分からないまま達するのは、そう先のことではなかった。


 はあ、はあ、はあ。
 しっとりと汗ばむ白い肌に吐きつける呼気が自分に返る。全力疾走したあとのような呼吸は、しかしすぐに治まり始めた。脳裏がじんと痺れている。首は重く、サスケの腕が回ったまま、それはがくがくと震えていた。首に伸びる腕を目で辿る。引き攣ったような呼吸は、そう、サスケのものだ。
 サスケ?
 ナルトはまばたいて、暗闇の中、間近のその顔を見た。ほとんど包帯が緩んでしまっている、その隙間から、黒く潤んだ瞳がナルトを見ていた。
 …サスケ?
 どくん、と心臓が跳ねる。
 夢だ、これは。
 そう思うのに、徐々にはっきりし始める意識は否応なしに周囲の様子を拾っていた。つい数時間前に訪れた病室、ベッド、サイドテーブルの花はサクラの飾ったもの。
「…な…んで、俺…」
 そこは病室で、封印の檻ではなかった。頭から冷水を浴びせられたかのようだった。だが体は射精の余韻に火照ったままで、ちぐはぐな状態でナルトは混乱した。目尻の濡れる黒い瞳と見つめ合って、呆然とその名を呟く。
「サスケ…」
 それは夢だ、これは夢だ。夢の中で、俺はサスケが欲しかった。だが細かく震える腿で腰を擦り上げられ、いまだ中に収めたままのものをひくひくと締められて、ナルトは呆然としてはいられない。
「…ナルト…」
 微かな声は欲を訴え、見れば滴をこぼすサスケのそれは、今にも弾けそうだ。片手を伸ばし、そっと撫でるとサスケは背を弓なりに緊張させ、己の腹を汚した。
 くたりと力の抜けた腕が首に引っかかったまま、ナルトは弛緩した体から自身を引き抜く。ぞくりと背が震えるのは、寒いせいではなかった。呼吸の整わないサスケの顔へ指先を伸ばす。解けた包帯を頭上へ押し遣れば、酷く懐かしい顔が露わになる。だが、そんな表情は───欲に色付いた顔を見るのは初めてだった。
「サスケ…俺…」
 絶望的だった。
 夢だと思いたかったが、そう思う時点でこれが現実だと認識できているということだ。夢を見ていただけのはずが、何故現実にサスケを抱いているのか、それは今ナルトにとって重要ではない。
 友達だから助けたかった、友達だから大切だった、友達だから大事だった。友達だから側にいて欲しくて、友達だから笑っていて欲しくて、友達だからケンカもしたかった。そのはずだったのに気付いてしまった。幼稚な感情は年月と共に成長し、ナルトに気付かせてしまった。
(ああ)
 好きだ。
 何ものにも代えられない。
 黒い瞳が僅かな光を反射している。
 誰も彼の代わりになどなれない。
「サスケ…」
 好きだ、と口説けば良かったのだろうか。彼を連れ戻そうと躍起になっていた時、好きだと、側にいて欲しいと口説けば良かったのだろうか。復讐より自分を選んで欲しいと言えば良かったのか。
 駄目だ、ナルトは顔を歪めた。
 選んでなど貰えなかった。
 一族の恨みはサスケの恨みだった。
 イタチの犠牲はサスケの犠牲だった。
 サスケはうちはであってサスケではなかった。
 ナルトが欲しいのはサスケだった。
「…お前を、俺にくれ」
 好きだ、とは言えなかった。
 今更だった。
 疲れ果てたようにサスケは弱く息を吐く。
「くれてやっただろうが」
 体を預けたことを言っているのか。
 そうじゃないんだけど、でも、そうなんだ。
 うん、と頷くと、サスケは眉根を寄せてナルトの首から腕を外し、不愉快そうに顔を背けた。微笑まれるより全然マシだ、とナルトは思った。

line_b04_1.gifline_b04_1.gifline_b04_1.gif
txt_10_back.giftxt_10_next.gif