ゲシュタルトロス・フクス:22

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 複数の気配が近付くことには、無論サスケは気付いていた。寧ろ隠すことなく近付いているのだろう。落ち着いた足取りはナルトではない、と思ったところでサスケは笑った。ナルトは捕虜略取の現行犯で逮捕されているのだ。その日のうちに出歩けるとは思えない。なのに足音にナルトを探した、その事実がサスケを笑わせた。
 こんこん、とドアを叩く調子は、覚えている限りサクラだろう。だがどこかぎこちないことに、サスケは包帯の目でドアを見つめた。
「サスケ君…」
「どうした。客か?」
 事情聴取なら既に受けている。
「サクラ、包帯外してやって」
「え、いいんですか…?」
 もう一人の声はカカシだった。事情聴取をした当人だ。まだ何かあるのだろうかと、包帯を奪われたサスケは渋々目を開いた。
 真っ先に目に飛び込んだのは、いつもの白衣ではないサクラだった。顔色が悪い。手の動きも、いつもより固い。どうした、と問いかけるよりも先に、その向こうの様子に口を噤んだ。カカシに並ぶのは壮年から老年の数名、苦々しい顔から察するのなら、彼らはいわゆる木ノ葉上層部だろう。おずおずと身を引くサクラは、回り込んで彼らの後ろに控えた。
「今日は災難だったな、サスケ」
「御託はいい。用件は何だ」
 冷ややかに見返せば、常と変わらない様子のカカシは肩を竦めて見せた。
「ま、最終確認ってとこだよ」
 耳の後ろで何かが警戒を訴えていた。
 お前が隠していたのはこんなことじゃないよね、暢気な声とは裏腹な、冷静な観察眼。この件はまた今度、その『今度』がこれほど早く訪れるとは予期していなかった。考えの甘さに、舌打ちの代わりにカカシを睨む。
「…タユラは九尾だな?」
 サスケは愕然と目を見張った。
 血液が逆流したかのように全身が冷えて震える。何故、いつ、それを? ぎりりと歯噛みして、カカシから目を逸らすまいと必死に見据える。
「何のことだ」
 低く問い返すとカカシは笑った。
「誰にも言わなかったお前の判断はある意味正しいよ。でも、ある意味では危険な判断だったとも言える。全部承知の上で、それでも沈黙を選んだのか」
 たゆらが九尾であることを仮定して、彼らはサスケの危惧したことをも察したのだ。
 復興半ばの木ノ葉には、近隣から応援と称して大勢の人員が入っている。その中には当然忍もいて、『草』と呼ばれるスパイも紛れ込んでいるだろう。応援が引き上げたあとも、そういう『草』は情報収集のために残されるものだ。封印された九尾が記憶を失い、九尾のチャクラを使えないナルトが人間以上の力を振るわないと知れれば、狙われる危険性が増す。保護しようとする木ノ葉の里が再び戦場になることも考えられる。
 誰もそれを知らなければ、無用の争いは避けられる。だが、あの危うい『タユラ』が或いは記憶を取り戻し、封印を突破しナルトを突き破って出現するのであれば、何も準備のない木ノ葉は壊滅の危機だ。九尾をコントロールできるという写輪眼は、カカシは片目でありサスケはいずれその両目を失明する。リスクは果てしなく高い。サスケは唇を噛んだ。
「じゃ、次の確認ね」
「は…?」
 たゆらについての追求をどう躱そうかと忙しなく思考を巡らせていると、不意に矛先を逸らされた。
「お前がタユラの存在に気付いたのは、退行催眠の治験の時…で合ってる? だとするとさ、お前がおとなしく囚われて、もう里を抜けないって言ったのは、タユラを見張るためじゃないってことだよね」
 カカシの背後の上層部たちは、何も口を挟む様子がない。彼らは既に、たゆらを九尾であると結論づけているということだ。サスケは大袈裟にため息をついてみせた。
「完全に回復してなかったからな。逃げようがなかったんだ、そう言うしかねえだろ」
「構わず逃げ出して死を選ぶことも出来たはずだよね。何しろお前は、死ぬことなんか何とも思っていないだろう」
「そんなことはねえよ。俺だって死ぬのは怖い」
 意識が戻ってから何度も繰り返された問答だ。半分眠っていたとしても同じ答えを言える自信がある。そして次にはこう言うのだ。
「それに…ナルトが生きてるのに俺だけ死ぬのは癪じゃねえか」
 ばかばかしさに、ため息が失笑となる。
 茶番だ、いったい今になって何を確認すると言うのだろう。たゆらについてを追求するのならまだしも、こんな質問は全く今更だ。だが、これで刑が確定するなら我慢してやる。そんな気概でサスケは忍耐強くカカシと向き合った。
「じゃあ…ナルトが生きている限り、お前は死ぬ気はない?」
「は?」
 何を言っているのか。
 不意に、常にはない質問をされサスケは素っ頓狂な疑問符を上げた。
「何言ってんだ」
「だって、そういうことじゃない?」
「…挙げ足取って面白いのかよ」
「別にそんなつもりじゃないさ。タユラが引っ込んでナルトが起きた時、お前、ナルトのために里にいるって言ったよね。この際だから『ナルトのため』でも『ナルトのせい』でもいいけど。総合して言えばさ、お前はこの里に戻ってきて、ナルトと共に生きる意志があるってことなんじゃないかと思って」
 どこまでも好意的な解釈に、サスケはほとんど呆れてかつての師を見上げた。
「…感情や計算を抜いて、状況だけで見れば…そう言えなくもねえな」
「あ、そう? 良かった」
 嫌味の通じないカカシの笑顔を嫌悪し、サスケは顔を背けた。判決が死刑であれば、こんな煩わしい聴取もなかったはずなのに、と苛付きを隠すこともしない。
 それとも、判決は死刑に切り替わったのだろうか? 罪人であるサスケの希望を打ち砕くこと、それを刑としたのだろうか? もしそうであるならば、知らされた時には暴れてやればいいのだ。呪詛の言葉を吐き、殺されるのは御免だと逃げ出す素振りを見せてやればいい。上層部はたゆらを九尾と断じた。つまり九尾の扱いをサスケ一人に委ねることはあり得ない。サスケの手を離れたところで対処が為されるだろう。
 勝手にすればいい。
「じゃ、そういうことで。これから刑を執行するから」
「…」
 これから?
 判決に変更はないのだと悟るのと同時に、サクラの薄水色の服が手術着なのだとようやく気付いた。ぎこちないサクラ、急な執行に動揺したのだろう。
「先生!」
 上役たちの後ろで控えていたサクラが声を上げた。
「あの…っ、サスケ君にはまだ…手術に耐えられる体力は…!」
「あ、そうなんだ? でもちょっと、もう待ってられないんだよね」
 カカシの声はあくまでも暢気だ。開け放たれたドアの外、待機していたらしい四人の上忍が、上役たちをかき分けて入ってくる。牢からここへ移送された時のように、四方を囲んで手術室へ向かうのだろう。
 目が合ったサクラは蒼白だった。
 手術着を着ているということは、彼女も執刀に携わるのだ。俺なら大丈夫だ、とサスケはそっと頷いた。
 

*     *     *

 
 カカシとサクラを筆頭に、四人の上忍に囲まれたサスケ、そして木ノ葉上層部の面々が続く。病棟内はしんとして、いつもは感じる人の気配が全くない。刑の執行のために、一時的に退去させているのだろう。奇妙に明るい廊下を歩きながら、そう感じるのは目隠しをせずにそこを歩くのが初めてだからだ、とも気付く。
 手術室は、入院病棟の隣の棟にあった。
 連絡通路から外の景色も目に入る。やはり、人の気配はない。病院一帯を封鎖しているのかも知れない。厳重だ。だが、過ぎるということはない。サスケはそう扱われるべき犯罪者であり、貴重な血継限界を持つ者なのだ。
 消毒液の匂いが濃くなった。ここまで担架で運ばれなかったのは、せめてもの情けだろうか? 開かれた手術室の扉に踏み入ると、サスケはそこに不思議なものを見つけた。
 
「ナルト…?」
 
 同様に気付いたサクラが、思わず声を漏らす。存外広い手術室には中央に手術台が一台、そこに横たわる金髪は───ナルトだった。
 ナルトはサスケと同じ病院服を着て、ベッドの上に仰向けになっている。目は閉じられ、呼吸はゆったりと静かだ。眠っている。意味が分からない。部屋の中を見回せば、様々な手術器具に混じって大きな鋸が目を引いた。骨を切断するのに使うのだろう。つまりサスケの刑を執行する場に間違いない。
「麻酔はもう効いています」
 鋸から目を逸らすには意志の力が必要だった。ナルトを取り囲む医師の一人が、消毒液を染み込ませたらしい布でその足首を拭う。別の一人が筆を持ち、くるぶしより数センチ上の辺りにぐるりと線を引く。心臓が落ち着かなかった。何をしている。何をしているんだ。
「あの…ッ、先生、これは…?」
 サスケと同じく、そこにナルトがいる意味を理解できないサクラがカカシを見上げた。
「うん、まあ…刑の執行?」
「何で疑問形なんですか!」
 作業を続ける医師の方も、とまどいを隠せずちらちらとカカシを窺っている。カカシは「うーん」と唸ると、上役の一人を振り返った。
「あの、これですと…つまりサスケは切らなくても同じですよねえ?」
「そうだな…」
 老人が顎に手を遣り頷く。
「じゃあナルトだけで?」
「ああ。それで構わんだろう」
 意味が分からない。やたらと心臓が不穏に脈打つ。上役たちは一通り顔を見合わせ、カカシに頷いてみせるのだ。カカシはそこでようやく、呆然と立ち尽くすサスケを見た。
「でもまあ、お前の刑だから。見届けるぐらいはして貰うよ」
「どういうことだ…」
 声が掠れた。
 カカシの疲れた笑顔からは、真意を汲み取ることが出来なかった。代わりに、老人の一人が陰鬱な目でサスケに告げた。
「うずまきナルトは───刑を執行してお前に足がなくなるのなら、自分の足をお前に移植したいと申し出た」
 何だって?
 意味が分からない。半分口を開けて、その科白の出てきた老いた口元を見つめた。
「我々はそれを、重犯罪者略取の罰則として承認した」
「まあ…つまり、お前は足を切ってもまた新しくくっつけられるという訳でね」
 開いた口が塞がらなかった。
 本気で言っているとは思えない。カカシは、だが冷淡にもサクラに向かって「お前も準備しなさい」と言うのだ。
「そんなの…おかしいです!」
 サクラはきっぱりとした声を上げた。そうだ、おかしい。これではナルトがサスケの代わりに刑を受けるようなものだ。重犯罪者略取の罪に対する罰則なら、サスケが足を切らずに済むこととは別問題でもある。
「おかしいのは分かってるよ、サクラ。でもね…今日実際にサスケを誘拐されてしまって、分かったことがある。足が不自由になったサスケを攫うのは、もっと簡単だってこと。あとは、サスケがどうあっても里を出る意志がないってハッキリしたことだ」
「先生…?」
「だったら、今日みたいに自力で誘拐犯を撃退できた方が都合もいいじゃない?」
「でも、だからって…ナルトの足を切るっていうのは違う気がします…!」
 カカシは肩を竦めて笑う。
「しょうがないよ。ナルトの希望だし」
「先生!」
 カカシの科白を聞きながら、サスケは凍り付いたように動けずにいた。
 それはたゆらの希望ではないのか。目を、心臓を「差し上げる」と言ったのはたゆらだ。足がなくなるのなら足を、と言いそうなのはたゆらの方だ。逮捕され、尋問を受けたのはたゆらではないのか。
 いや、だが、彼らはもう知っている。たゆらとナルトが別ものであると知っているのだ。その上で言った、「ナルトの希望」なのだ。うまく息が吸えない。心臓は耳元でその存在を主張する。視界が揺れる。手足は細かく震え、手枷の鎖が濁った音を立て始めた。それを聞きたくなくて、サスケはその手をカカシに伸ばした。
「サスケ君!」
 じゃり、と音を立てる鎖だが、鉄臭さは消毒液にかき消され、奇妙にも現実感が薄い。
「…やめさせろ」
 ベストの襟元を掴んで凄んだはずの声は、やはり、掠れていた。カカシは警戒する上忍を見ることなく掌で制する。読めない隻眼が静かにサスケを見下ろした。
「何で?」
「こいつは関係ねえだろ!」
「あるでしょ、関係。誘拐犯だよ」
「カカシ!」
 サスケの背後では手術の準備を続ける音が否応なしに響き渡る。自分の手が何故震えるのか分からない。サスケ君の言う通りこれは筋違いです、というサクラの声が上滑りでもするように流れてゆく。
「サクラ、お前も早く支度しなさいって」
「先生ッ!」
 サクラの鋭い声にはっと振り向くと、手術台の上のナルトがベルトに拘束されているのが目に入る。肩と腰と膝上だった。ぞっとした。麻酔が切れかかって暴れる体を固定しておくためのものだと一瞬で悟った。
 何してやがる!
 血の気は引いたはずなのに、頭に血が昇った。カカシの襟から手が離れ、考えるより先に体は医師に体当たりしていた。
「うわ…ッ!!」
「サスケ君ッ!」
 がしゃん、と側のワゴンごと転がり、カバーの掛けてあった手術器具が床に散乱する。とっさにメスの一つを握ると、刃先に千鳥を流しカカシに向けた。医師はそれを見るなり慌ててサスケから逃げ出す。
「サクラ! ベルトを外せ!」
「えっ」
 カカシを見据えたまま、ナルトをサクラに託す。
「さ…サスケ君…、ゴメンなさ…」
 だが、押し潰したようなサクラの声が聞こえたかと思うと、特別上忍によってカカシの背後に引きずられる彼女の姿が視界に入る。舌打ちすら出なかった。即座に千鳥の刃を延ばし、手術台に繋がる根本から拘束ベルトを断ち切る。
 それと同時に特別上忍に両側から手首を押さえ付けられる。写輪眼を開く、サスケに躊躇はなかった。バチバチ、と激しい音を立てて千鳥が特別上忍を襲った。
「ナルトォ!」
 手術台に手を伸ばし、ナルトを引きずる。床に固定された手術台から、どさりと重い音と共にナルトは落ちた。
「起きろこのバカ!」
 不自由な手で精一杯迅速に、意識のないナルトを背後に庇う。サスケは唇を噛んだ。圧倒的に不利なのだ。ほんの一時この場を逃れることが出来たとしても、彼らの判決が覆らなければ同じ。
「…お前、自分が何してるか分かってる?」
 分かっている。
 火影代理に刃を向け、禁止されていた写輪眼を発動させているのだ。出入り口を押さえたカカシと上層部には、焦りも何もありはしない。床に横たわるナルトを庇おうと思えば自然膝をつく格好となり、それさえも不利だった。
「…おい、起きろ、ナルト!」
 せめてナルトの意識があれば、真偽も確かめようがある。体を揺するが、麻酔の効いたナルトが目覚める気配はなかった。
「無駄だよ、サスケ。起きたって、ナルトの意志は変わらない。お前の意志が変わらないのと同じだな」
「何を…言っている」
 手の震えが止まらない。目の端に映るナルトの足首、切る位置を指定された、その足首。まず血流を一時止め、あの線の辺りで皮膚と肉を切るのだ。そして骨を露出させ、あの鋸で断つのだ。
「少しは分かったか? サスケ」
「何を…」
 カカシは一人、サスケの前まで歩み出て静かに見下ろした。
「…ナルトがどんな気持ちだったのか」
 サスケはじっとカカシを見上げたまま、たった今自分が何を想像したかを思い知った。唇が戦慄く。全身が冷えきってゆくようだった。写輪眼を閉じたという意識すらなかった。
 力が抜ける。
 カカシを見上げていたはずの目が床の継ぎ目を見ていた。軋む首を巡らせて金髪を探す。死んだように眠るナルトの目元は、僅かに赤く腫れていた。泣いたのだろうか。
(…俺が、)
 泣かせたのだろうか。
「うちはサスケに判決の変更を伝える」
 カカシの声にのろのろと顔を上げると、厳しい目が見下ろしてきた。
「ひとつ、両足首の切断は取り消し。ひとつ、うちはイタチの目を移植。ひとつ、九尾『タユラ』の監視を命ずる」
 それらの言葉は、サスケの中ではっきりとした意味など持たなかった。解放されたサクラが走り寄ってサスケに抱きついた。曖昧に、サスケは頷いた。それはただ、俯いただけのようでもあった。

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